芳瀧の居場所

今日は芳瀧の居場所について。

まだ謎だらけの「芳瀧の妹背山」。気を取り直して、今日は江戸の番付探検をしようと思っていた。しかしその前に、絵師の動向を確認するときの基礎便覧とも言える『浮世絵類考』の確認がまだだったことに気づいた。

ということで今日は『浮世絵類考』で芳瀧の居場所を探った。

私の手元にあるのは1941(昭和16)年発行の仲田勝之助編校『浮世絵類考』というもの。国立国会図書館(NDL)でPDF版でダウンロードができる有り難い資料だ。
この類考の原著は1790(寛政2)年頃、大田南畝による。大田南畝は幕府の官僚として公職に付きながら随筆・狂歌など文筆にすぐれ、大田蜀山人という号でもよく知られている。

この1790年頃の『浮世絵類考』、このままの資料だとしたら1800年代後期の芳瀧の動向などわかりようがない。ところがこの類校は年代を追うごとにその時々の浮世絵師や狂言作家、考証家などが情報を加筆・補足するかたちで継承されていた。そのおかげで芳瀧の情報の確認も可能なのだ。

以下が芳瀧の欄の内容。旧字体は新字体に変えて書き写した。

芳瀧 中川氏、俗称恒次郎といふ。大坂の人。父を源兵衛と云。画を中島芳梅に学びたり。現住京都市下京区高宮町。」

至極簡単。住所が町名まで記載されている。プライバシーに関して鷹揚な良い時代だった。

この情報が、芳瀧の人生のどの時点のものかという詳細はわからない。上方で一生を終えたと想像できなくもない。

とりあえず、この情報はこれで、芳瀧の居場所を確定するひとつとして念頭に置くことにしよう。

やっぱり、江戸の番付の確認はダメ元でもしておいたほうがスッキリしそうだ。