妹背山…手強し

《妹背山婦女庭訓》の番付調査の中間(?)報告。

前回話したとおり、芳瀧の《妹背山婦女庭訓》に登場する役者が揃った興行を見つけるべく、1870(明治3)年から(念のため)芳瀧没年の1899(明治32)年までの江戸を除く役者番付をチェックしてみた。
今回も資料は立命館大学の「ARC番付ポータルデータベース」。

29年間に26の《妹背山婦女庭訓》の興行が確認された。辻番付11件と役者番付15件を資料としたところ、役者番付に7件の浄瑠璃興行が含まれていた。このため、それらを削除。19件が歌舞伎興行とわかった。
ちなみに興行地の内訳は大坂が一番多く8回、京都4回、名古屋3回、横浜2回、神戸と静岡が1回 ずつ。

これらの番付の配役と、芳瀧作品の配役を一興行ごとに確認。

その結果として、芳瀧作品の配役による興行はない!

この結果から考えられること。

1)芳瀧作品の配役による興行の役者番付は存在するがデータベースとして世に出ていない。
2)芳瀧作品の配役による興行の役者番付は消滅してしまった。
3)役者番付を作らずに行われた特殊な興行(?)に発想を得て芳瀧が錦絵を作った。
4)この配役の興行自体が存在せず、芳瀧が「スーパースター夢の共演」といった架空の配役による作品を作った。
5)芳瀧が一時的に江戸で仕事をした。

①DBとして公開されるのを気長に待つ。
②他の方法で興行記録が見られるかもしれない。
③②の方法のほか、『藤岡屋日記』『斎藤月岑日記』は時期的に無理でもこれに類似した上方版の忘備録的な日記に記載がある可能性は??
④この可能性は大いにありそう。
⑤現状ではその形跡を示すものは見当たらない。しかも芳瀧の配役には大坂地盤の匂いが強い。

万事休す。