如意輪観音

擬宝珠を調べていたとき、如意宝珠の持ち主の一人である「如意輪観音」が気になったので調べてみた。

菩薩は、如来を目指して悟りを求める修行者。王子の身で修行中だったお釈迦様がモデルとなっているため、地蔵菩薩を除いて、装飾品を身に着けて優美な雰囲気を漂わせている仏像が多いのが特徴。

如意輪観音は如意輪菩薩ともいわれ、如意宝珠と法輪(仏の教え)を用いて「命あるものすべてを救済する」のが仕事。

如意とは「思いのまま」ということ。

この観音様の思いのままにどんな困難からも救っていただけるとは、なんとも心強い。

さてお姿。右膝を立ててその右足裏を左足の裏と合わせてゆったりと座り、思いにふけるかの面持ち。それとは対象的に六臂(腕が6本)は、如意宝珠や宝輪・数珠などを持ちいかにも忙しそうだ。

臂に関しては二臂像から十二臂像まで像によって様々だとか。

今私が見ているのはボストン美術館アーカイブのビゲローコレクション(William Sturgis Bigelow Collection)の『六観音像扉絵 如意輪観音』鎌倉から南北朝時代の板絵だ。

六臂を備えたこの像は全身に宝飾をまとい金彩も美しく残っている。伏し目がちながら何かを凝視するような眼差しが印象的。

如意輪観音の表情は「思惟憐憫の情」を表しているのだそう。

ただ見ているだけでも心が安らかになるようだ。

橋の上の玉葱

「東海道五拾三次之内 日本橋」安藤廣重 1830-186

「日本の橋の上の玉葱みたいなもの」あれは何だと、外国の方に何度か聞かれた。

擬宝珠のことだ。

そういえば橋だけではなく、高貴な建造物の高欄でも見かける。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、高欄(こうらん)の親柱(おやばしら)の頂部につく宝珠(ほうしゅ)形の装飾で、頂部を削り整えたものや青銅製または鉄製の金物をかぶせたものがあるとのこと。

 「仏典では、宝珠は海底に住む竜王の頭から出現したもので、毒に侵されず火にも燃えない霊妙なものとし、それを擬したものが擬宝珠である。擬宝珠に金属製のものが多いのは、親柱頂部が雨水で腐朽するのを防ぐためにかぶせたからである。」    

宝珠は願いどおりの宝を出す珠のことで、如意輪観音や地蔵菩薩の持ち物だそう。それと五重塔の頂部にある飾りも宝珠とよぶとか。その宝珠を真似て作ったものだから擬宝珠というそうだ。

木造の橋がかけられていた時代、欄干の擬宝珠は親柱を腐朽から守るだけではなく、川の氾濫や橋の落下などから通行人を護る願いも込められていただろう。

早速Googleで検索。伊勢神宮 内宮の宇治橋、京都の三条大橋、盛岡の上の橋のほか、復元されて真新しい鳥取城跡内堀にかかる擬宝珠橋など各地で見られるようだ。名所絵で有名な日本橋の擬宝珠は浮世絵に残るだけになってしまって残念。

次回誰かに聞かれたら、今までよりマシな説明ができそうだ。

<参考文献>
工藤圭章「擬宝珠」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館