神霊矢口渡

おふねちゃんの登場。

前回まででわかったこと。

1)画題:頓兵衛娘於ふね(とんべえむすめおふね)
2)版元:元飯田町中坂 人形屋多吉(にんぎょうや たきち)
3)落款:一勇齋国芳
4)押印:芳桐印
5)改印:村田・米良

そしてここからが新情報だ。
芝居絵は歌舞伎興行に合わせて制作されることが多いため、この作品の制作・出版時期と上演時期は重なると考える。そこで、いろいろな角度から時期を追ってみた。

まず⑤の改印「村田・米良」。『錦絵の改印の考証』によれば、この2つの改印は1847(弘化4)年から1852(嘉永5)年に使用。この作品の出版時期はこの改印の使用時期に絞ることができる。

次に②の「版元・人形屋多吉」。人形屋多吉は国芳や弟子の作品を扱っていた。地本問屋営業時期を調べたところ、弘化〜嘉永とあるので、村田・米良による改印の時期と合致する。

③この作品の絵師一勇齋国芳は歌川国芳のこと。国貞と人気を二分した、あの国芳。1797(寛政9)年生まれ。国芳の作画時期だけ触れると、1812(文化9)年から万延と言われている。万延期はとても短くて1860年3月から翌年。西暦だと1812年から1861年を作画時期と考える。もちろん改印による仮説は問題ない。

④「芳桐印」は国芳作品で頻繁に見かける押印。初期は歌川一派の「年玉印」を使っていた。国芳が年玉印から芳桐印に変えた時期が、国貞が三代豊国を襲名した1844(弘化元)年ころという話もある。これについてはまだ納得がいく裏付がない(どこかで読んだ記憶だけ)。仮に1844(12月から弘化元)年を、国芳作品に芳桐印が押印され始めた時期と見ると、これもまた、ここまでの流れに符合するものではある。

そして①《頓兵衛娘於ふね》。この役が登場するのは『神霊矢口渡』(しんれいやぐちのわたし)という作品。もともと、浄瑠璃としてつくられて初演は1770(明和7)年江戸・外記座(げきざ)。1794(寛政6)年から歌舞伎の出し物となった。作者は福内鬼外(ふくうちきがい)。実はこの人、日本のダ・ヴィンチ、オールマイティの平賀源内。

さて、ここまでで確証を得たこと。
歌舞伎の外題:神霊矢口渡
仮説とする時期:1847(弘化4)年〜1852(嘉永5)年

この2つを手がかりに、つぎは芝居番付へ。

参考文献
石井研堂 1932『錦絵の改印の考証』菊寿堂伊勢辰商店
小林忠・大久保純一 2000『浮世絵の鑑賞基礎知識』至文堂

参考サイト
「神霊矢口渡」文化デジタルライブラリー(2021/02/14)
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/modules/kabuki_dic/entry.php?entryid=1169
「人形屋多吉」Wikipedia (2021/02/14, 参考文献が信頼できると判断したため参考にした)
https://ja.wikipedia.org/wiki/人形屋多吉