ガラス絵

初のガラス絵。

ガラス絵は全くの無縁だ。ガラス絵には美人画が多いという知識ぐらいしかない。ところが今回はなんと相撲絵。これもまたこれまで縁がなかったジャンルだ。

実はこの作品、同じ州に住む友人が所有しているもの。私が浮世絵に興味を持っていることから「これ、本物かしら?」と相談を受けたのだ。

「谷風」E.Takino氏所蔵

私は鑑定はできないが、ガラス絵に触れる機会はかなり稀なことだし、よろこんで画像をいただいた。

早速オンライン上でガラス絵作品を探すも、とにかく情報が少ない。あってもオンラインオークション。

そこで、元絵があったと仮定して、限りなくこのガラス絵に似た錦絵を探すことにした。

磬子 Zoom in

磬子の彫物を拡大して見てみた。

BlueIndexStudio所蔵

美しい彫りで驚いた。彫刻刀は迷いもなく動いて、一気に彫られたことがわかる。

「屋」の3画目や5画目などの入筆部、「重」の4画目の折れに黒色部分が見える。これは下書き文字の墨の掘り残しだろう。

きちんとした書で、字間や文字の大きさもバランスよく取れているところから、筆耕者、またはそれに準ずる技術を持つ人が下書きをしたうえを彫ったと考える。

アメリカのアンティークサイトなどで見られる同サイズ程度の磬子には、このような整った彫りはほとんど見かけない。彫り師が下書きなしのフリーハンドで直彫したような、文字として美しいとは言えない仕上がりが多い。

このようにきちんと、丁寧に手順を踏んでいるにもかかわらず誤りに気づかなかったのは不思議だ。

完成して過ちに気づいたものの時間の余裕がなく修正されずに寄進されたと考えるのは、寄進という目的から推測すると、可能性が低いだろう。
新たな磬子を作り直して寄進しこの磬子は工房に残っていて、後年、明治の廃仏毀釈などで外に出る機会を得たのかもしれない。それで破壊されずに今日至っているならば、かなり運のいい磬子だ。

申と甲

今回も磬子の彫物について。

BlueIndexStudio所蔵

この胴体部分の外側上部の彫り込み。
問題は「安永三年申午」

恥ずかしながら全く気がつかず、この謎解きをシェアしていた学生時代のゼミ仲間Iさんが指摘してくれた。

問題は「申」。

画像で安永三年(1774)の次に「申(さる)」がある。その次は「午(うま)」。これでは十二支が2つ並んでいることになる。通常は元号年の次に十干と十二支が並ぶ。

安永三年の干支は甲午。

甲を申と誤って彫ったのだ。縦画の彫り違いはありそうなこと。さらにIさんは、刻印された時期が年号と干支を組み合わせて使用することがなくなった時代の可能性も指摘してくれた。つまり年号と干支のセット使用が一般的ではなくなった時代ならば、こうした彫り間違いやうっかりミスもあるのではないかという見解。

たとえば番付資料などを見ていると、明治の初期は元号年と干支(十干十二支)の記載が多いが、その後徐々に元号年と十二支のみとなり、明治中期には元号年だけの表記も出始めている。ただ、他の資料を見ていても、ある時点で一斉に様式が変わったというものでもなさそうで、かなり長期にわたって混在していたように見えるのだ。

甲を申と掘り間違えたことがこの磬子の流転のきっかけだったのかもしれない。


謎だらけの磬子どの

前回に続き、磬子の刻印についてです。

BlueIndexStudio所蔵

これは胴体部分ではなく、真上から見える縁に刻印されている。つまり胴体の厚みの部分に4文字の漢字が見えるのだ。

「作  金 竜☆」

最初の「作」は他の字よりも小さめ。そのあと一文字目は「金」、余白を置いて「竜」、次の最後の文字が「華」か「辛」のようにみえるが判然としない。並びとしては氏名のようだ。

中国・韓国出身の年配の友人たちにも見せたが、予想できる文字を試し書きしながらも首をかしげるばかり。「韓国の名前っぽい」というところで話が行き詰まってしまった。

とにかくこれが金竜☆という職人の落款と見てよいだろう。この金なにがしが大和屋重作の依頼で安永3年9月13日の寄進のためのこの磬子を制作したと仮定できそうだ。




 

磬子の彫物

今回は磬子の彫物を見ていこう。

ところで、この磬子素材。見た目の印象ではブロンズ。表面は漆がけのようで艶がある。

BlueIndexStudio所蔵

側面上部の刻字。右から「大和屋重作 安永三年申午九月十三日」

安永三年、1774年、江戸時代中期だ。

大和屋といえば商人の屋号として時代劇でも聞く機会が多い。
大店の主が菩提寺に寄贈したものかもしれない。

江戸時代の大和屋重作をオンライン検索したが、成果がなかった。
あまりによくある屋号で逆に難しいのかもしれない。

磬子


こちらの磬子。

BlueIndexStudio所蔵

近所のジャンク屋(親しみを込めてこう呼ぶ)Phillの店で写した画像。個人宅の仏壇のお鈴サイズではない。

実寸は、直径47.8cm, 深さ40cm, 胴回り160cm

磬子と書いて「けいす」とも「きんす」さらに「大徳寺りん」とも読むそうだ。
知らなかった。
そして新しいものはオンラインショップ楽天でも見かけた。自宅用に購入するというのは一般的ではないだろうから、やはりお寺さんをターゲットにしているのだろう。今時はこうしたものもオンラインショッピングするのだと、これまた初めて知った。


あたらしい同居

ウチはたびたび同居が増える家だが、今回は少しスケールが違う。

いつもの近所のジャンク屋さん。
大型品が置かれるスペースの真ん中、古い看板や用途が判然としない謎のもののなかに、なんだか見覚えのある色と形。どうみてもお寺のご本堂におられる方。

地面に直置きされている。
あっけにとられて呆然と見ている私に店の主人は「ねえねえ、なんて書いてるのー?」たびたび立ち寄るうちに、勝手に私を日本・中国ものの鑑定人と決めている。漢字が読めると誰でも鑑定人になれるようだ。
「ほら、ガラスボードのせるとおしゃれなコーヒーテーブルになるし、植木のカバーにもなるよね〜」「でも、ちょっと座りが悪いから底を平らにしないと!」
あきらかに何者かを知らないで店頭に並べている。

お労しいと思いながらもそのまま帰宅。
翌朝、うちのM「なんか、呼ばれてる気がする…」

そして一時間後、快適な移動を提供するために持参したビーチタオルにくるまれたお姿のまま、落ち葉が散り始めた芝の上に鎮座。

まずは長旅の身を清めていただき、我が家に同居と相成り候。

国芳 vs 国貞(MFA)

美術展で実際に五感を駆使して作品にふれる経験にまさるものはない。ものによっては作品に対峙すると平面作品でも立体造形のように感覚になることもある。そして本物を直に見る経験からはいつも様々な発見があるのだ。

ところで日本の美術館や博物館では撮影禁止が一般的なようだが、欧米ではフラッシュ禁止でも通常の撮影は許可している美術館が多い。
ボストン美術館(MFA)も後者。国芳国貞ボストン展も通常撮影は可能。

Iwai Kumesaburo II as Agemaki – 二代目岩井粂三郎の揚巻

角度を傾けて撮影した展示作品
William Sturgis Bigelow Collection, 11.26730

出版年:1829 (文政12) 頃
署名:香蝶楼国貞画
摺物
William Sturgis Bigelow Collection, 11.26730

「助六所縁江戸桜」は市川団十郎家の十八番で、現代歌舞伎の中でも特に人気の高い外題だ。主人公助六は江戸の粋を体現する男前の役どころ。揚巻はそんな助六にふさわしい最高の傾城。実際の歌舞伎の場面でもその佇まいは贅を尽くした出で立ちで際立つ美しさが表現されるが、錦絵においても同様に手を変え品を変え豪奢に描かれるテーマだ。

さて揚巻の頭上に描かれた枝垂れ桜。江戸桜という外題からも桜は欠かせない。実はこの作品は3枚続きの中の1枚で他の2枚には助六と新兵衛が描かれており、たぶん歌舞伎の舞台(現代も)同様に3作品を通して上部は桜で飾られている。この桜の輪郭が空摺(エンボス)で表現されているのだ。

この空摺はカタログでも見えますが、実際に見ると一層くっきりと深く、今刷り上がったばかりのような空摺りなのだ。このようにふっくらと摺りあがっているのも、今見ても上質とわかる厚手の奉書紙が使われたためだろう。やはり特別発注として作られる摺物は使われる素材も本当に贅沢だ。



Actor Iwai Hanshiro V as Yaoya Oshichi (From the series Great Hit Plays) – 大当狂言内 八百屋お七 五代目岩井半四郎」

角度を傾けて撮影した展示作品
William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096

出版年:1814 – 15 (文化11−12) 年頃
署名:五渡亭国貞画
版元:川口屋卯兵衛
改印:極
William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096


恋人に会いたい一心で事もあろうに放火をして火刑に処された八百屋の娘お七。江戸初期の実在の話とも言われている。この悲恋は多くの物語や戯曲となり浄瑠璃や歌舞伎でも人気を博した。五代目岩井半四郎のお七は特に当たり役となり、この作品の長襦袢でもみられる「麻の葉鹿の子」柄をお七の柄として後世にまで残した歴史に残る女形だ。江戸の若い娘らしい利発な目元が印象的だ。

さてこのお七の頭上が何やら光っている。これは胡粉が使われたためだ。カタログなどでは、鼠色っぽい塗り壁がまだらに剥げたような感じをよく見かける。実際に見ると銀色に光る胡粉がしっかり残っているのだ。

このシリーズは大人気の出し物の役者を一人づつ描いたもので、シリーズを通して胡粉が使われている。シリーズものはコレクター心をくすぐるうえに、高価な胡粉など使えば高級感が出る。普段の錦絵よりは高価な値段で特別な機会に販売されたと想像する。版元もいろいろ考えるものだ。

ちなみにこの展覧会ではもう一作、同じく国貞作の火の見櫓に登るお七も展示されている。お七は四代目市川小団次。お七の柄「麻の葉鹿の子」の振り袖姿だ。1856 (安政3) 年出版なのでここで取り上げた作品から約40年を経て作られた作品ということになる。

このように、ささやかな発見を記録できるという意味では会場での作品撮影は助かるのだ。しかし熱心な鑑賞者の邪魔にならないように速やかにアングルや近距離のピントを合わせるのは、少なくとも私にとってはなかなか容易ではない。やはり写真撮影は必要最低限十分。肉眼で見る、体感するのがオリジナルを見る醍醐味だ。

<参考文献>
MFA Boston 2017「KUNIYOSHI  x KUNISADA」MFA Publications

SHOWDOWN! Kuniyoshi vs Kunisada

渋谷Bunkamuraから約一年。待ちに待った本拠地ボストン美術館での国芳国貞展が始まった。

Museum of Fine Arts Boston メインエントランス ー 465 Huntington Avenue Boston, MA

本拠地においても大変な盛況。他国の人々が日本文化にこんなに興味を持ってもらえるとは。想像以上で誇らしいことだ。とはいえBunkamuraほど押せ押せの混雑はなく、少し順番を待てば作品前至近距離で時間をかけてゆっくり見ることができる。日本展で印象深かったタイトルやキャプションの工夫は英訳でも生かされていた。もちろん私達が時代劇で馴染みのあるべらんめえ調の江戸弁や役割語などはむりだが。

展示作品に対する印象は日本展同様、瑞々しいというか、摺りあがりを思わせる鮮明さ。距離をとって作品を見ると、170、180年の時間を経ているというよりも現代の感覚によくマッチして見える。

内容は日本展とほぼ同様のセレクトに見えた。“ほぼ”というのは、版画の特性とMFA特有のルールのせいだ。ビゲロー (William Sturgis Bigelow) コレクションは作品数も膨大で同じ版木で摺られた作品が複数存在している。そのため厳密にはMFA独自の作品ごとにつけられたコレクションIDが一致して、初めて同一作品と言える。タイトルが同じでも両国でID画一致した同一作品を展示したかどうかはまだ確認できていない。

日本では渋谷に続いて神戸、そして名古屋ボストン美術館でも巡回開催された。通算の展示期間に移動などを含めると、作品たちは一年近く心地よい家を離れていたと考えられる。国を跨いだ2つの展覧会のあいだにはざっくり計算して約半年のあいだがあったと想定できる。ビゲローコレクションの錦絵展示後のルールが、どれくらいの期間の休憩を定めているのか、たびたび気になりながらもまだ確たる情報がない。今回ももしかすれば同じタイトルながらIDちがいなどと言うこともあるのかもしれない。

ところで会場では、MFA日本美術キュレーターのセーラ・トンプソン(Sarah E. Thompson)氏をお見かけした。ジャーナリストによる取材のようだったが、それが始まる前には作品前に置かれた長椅子に腰掛けて満足そうにゆったりと作品を見回しておられた。遠くからも作品に対する深い愛情が感じられた。

「俺たちの国芳 わたしの国貞」

ボストン美術館(MFA)所蔵の大規模な浮世絵展が渋谷で開催中との情報入手。これを見逃す手はないと帰国時のToDoリスト最上位に記入。

そして、見てきた「クニクニ展」。


作品の鮮明さ、言葉を失うほど。今刷り上がった状態を見ているような瑞々しい発色で紙の表面もふっくらと初々しく、空摺もはっきりとそれとわかる。黒色など特に、色が紙に食い込みながら紙面にも盛り上がっているような立体感さえ感じられるほど。
いずれの作品も緩急が効いた構図と背景・人物が醸し出す躍動感、柔らかな奉書紙に強く刻まれた墨色の輪郭線、選び抜かれた色彩コーディネート、市井を牽引する流行感覚の鋭さ、幕末の江戸で、絵師・彫師・摺師と版元のプロデュース力のいずれが欠けても叶わなかったであろう、潔く魅惑的な世界が繰り広げられていた。

もう一つ驚いたのは会場の混雑の甚だしいこと。 日本人はいつからこんなに浮世絵好きになっていたのだろうか。

そんな新鮮な驚きとともに会場を回っていると、作品に添えられた言葉がなんとも面白い。江戸っ子風だったり、現代のヤンキー風だったり、日本語ならではの役割語の表現が、作品をさらにわかりやすくしている。さらにカタカナ英語が漢字熟語風タイトルのふりがなとしてそえられているなど、視覚にうったえる文字選びと韻を踏むなどの音読も遊び心たっぷり。言葉選びが作品に絶妙にハマっていて、老若男女、とくに日頃美術鑑賞に疎遠な人でも、時代劇を見る気軽さで鑑賞できたことだろう。キュレーターを始めとする企画チームの工夫が作品とズバリマッチしての大盛況と言える。

最近は世界のどこかで必ず展覧会が開催されているというほどの人気を誇る浮世絵だが、ここまで大規模な浮世絵展は世界有数のコレクターである本拠地MFAですら滅多に行われない。
実は私がこちらに住み始めて一番楽しみにしていたのはMFAの浮世絵が見られること。並々ならぬ所蔵数があり日本美術専門の展示室もあるからには、少しづつ短期間ずつでも常に作品展示が行われると信じていたからだ。スポルディング( William S. and John T. Spaulding )コレクションのように展示禁止(研究のためなどの閲覧は可能)の条件付きでの寄贈作品はともかく、他の作品に対しても厳密な保管のルールがある。一般への展示公開よりも可能な限り良い状態で後世に継承していくことに重きを置く美術館と言えるかもしれない。

ちなみに今回は、MFAでもっとも多く浮世絵(特に国貞・国芳作品)を寄贈したビゲローの(William Sturgis Bigelow)コレクションを中心に展示されていた。