橋の上の玉葱

「東海道五拾三次之内 日本橋」安藤廣重 1830-186

「日本の橋の上の玉葱みたいなもの」あれは何だと、外国の方に何度か聞かれた。

擬宝珠のことだ。

そういえば橋だけではなく、高貴な建造物の高欄でも見かける。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、高欄(こうらん)の親柱(おやばしら)の頂部につく宝珠(ほうしゅ)形の装飾で、頂部を削り整えたものや青銅製または鉄製の金物をかぶせたものがあるとのこと。

 「仏典では、宝珠は海底に住む竜王の頭から出現したもので、毒に侵されず火にも燃えない霊妙なものとし、それを擬したものが擬宝珠である。擬宝珠に金属製のものが多いのは、親柱頂部が雨水で腐朽するのを防ぐためにかぶせたからである。」    

宝珠は願いどおりの宝を出す珠のことで、如意輪観音や地蔵菩薩の持ち物だそう。それと五重塔の頂部にある飾りも宝珠とよぶとか。その宝珠を真似て作ったものだから擬宝珠というそうだ。

木造の橋がかけられていた時代、欄干の擬宝珠は親柱を腐朽から守るだけではなく、川の氾濫や橋の落下などから通行人を護る願いも込められていただろう。

早速Googleで検索。伊勢神宮 内宮の宇治橋、京都の三条大橋、盛岡の上の橋のほか、復元されて真新しい鳥取城跡内堀にかかる擬宝珠橋など各地で見られるようだ。名所絵で有名な日本橋の擬宝珠は浮世絵に残るだけになってしまって残念。

次回誰かに聞かれたら、今までよりマシな説明ができそうだ。

<参考文献>
工藤圭章「擬宝珠」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館

初雪の朝

落ち葉掻きのまもなく…

ぼんやりとした寝起きの頭で、暖房が自動作動する音をきいていた。

このあたりの真冬はマイナス10度は軽く超える。配管凍結防止のため暖房は24時間稼働だがが、温度は時間毎に設定している。そして今朝、今シーズン初めて暖房が自動作動でより強力に動き出した。つまりそういう寒さになったというわけだ。

シンと静まり返った朝。

この静けさ、しばらく忘れていたけれど、間違いなくあの気配。
すべての音を包み込む雪がふっている、しかも積もっているということ。

また長い冬がはじまることを思いながら、真っ白の積雪を期待してカーテンを開けたところ、終わりかけの紅葉が落ち葉となって新雪の一面をおおっている。なんとも美しい!裏口のドアを開けながら懐かしい冷気につつまれて、しばし秋冬の入り交じる朝に見惚れた。

雪が溶けたら今半ば凍ってるこの落ち葉も哀れな姿になるのかと、ハロウィーンの準備で落ち葉掻きを先延ばしにしたことを後悔した。

そしていきなり蘇った記憶。

「女の盛りなるは、十四五六歳廿三四とか、三十四五にし成りぬれば、紅葉の下葉(したば)に異ならず 」

こんな文章を見つけて他人事のように笑いあっていた学生時代…こんなにしみじみとした気持ちで雪に入り交じる落ち葉を見る自分など思いもよらなかった。

ひんやりとした廊下でひとり、自分の頬が高揚し緩むのを感じた。

『梁塵秘抄』巻第二、394
平安後期の今様とその周辺歌謡の集成。後白河法皇撰。明確な成立年時は未詳。

あお

7月、晴れた朝、アメリカ東海岸北部の空はこんな “あお”。まさに “空色”。

近所の公園。ベンチで一息つきながら空を見上げる。
あおいろ。 朝の控えめな太陽の光で爽やかな空色だ。

好きな色はあおいろ。どこにいても、どんなものも、一番に目に入るのはあおいろだ。いろいろなあおがあるが、藍や紺青などの赤みの少ない深いあおいろがより好みだ。でも好きだからといって身の回りがあおいろで埋め尽くされているわけではない。他の色の中にあってあおいろが引き立つのがいい。

夏の日差しのなか光る緑色は反対色の黄色、影となった葉は深く濃い緑色、枝は墨で引いた線、そして星条旗の赤。ゆるやかに形を変えていく薄雲のながれ。空色のグラデーションも、さながら川の流れのように形を変えてゆく。ベンチの背に頭をもたれて、いつまでも見入ってしまう。木々と星条旗は空色によって、空色は木々と星条旗によって、それぞれの色が鮮やかに際立つ。

こうしてあおいろを見ていると、ポジティブな感覚が勝ってくるのだ。

いつもより新しめ

隣町のジャンクショップをふらふらしていた時に目を引いたかなり古めのカップボード。普段見かけないその大きさに思わず周囲をぐるりと回ってみたところ、押し付けられた壁とボードの隙間に一枚の薄い額がある。引っ張り出してみると錦絵だった。 

BlueIndexStudio所蔵

これ以外にアジア系のものなど全く見当たらないこの店。どんな経緯で流れ着いたのだろう。幕末から明治初期の赤と青の氾濫、折ったあとはあるけれどカビがないのはうれしい。

小万とは

作品上の情報から《桜屋の小万》を探る。

画面背景が階段とは舞台装置。そして何かを差し出すこのポーズもいかにも芝居がかっている。これは芝居絵・役者絵。

それでは画面情報から見てみよう。
作品名:桜屋の小万(さくらやのこまん)
版元:版元(亀甲の中にト+遠彦)遠州屋彦兵衛
落款:豊国画(年玉)
絵師:豊国三代/国貞
改印:申五改;1860(安政7/万延元)年 

BlueIndexStudio所蔵

改印の年代から豊国は3代目、初代国貞だ。

さて小万。
まず衣装から見てみると、袖や肩に千鳥の柄。裾には釻菊(かんぎく)の紋様も見える。この手がかりから浮上したのは歌舞伎俳優・澤村田之助。

釻菊は定紋で替紋が波に千鳥。よく見ると着物だけでなく硯箱にも千鳥が描かれている。澤村田之助は現在まで続く名跡だ。改印の時期から推測するに1858(安政5)年に襲名した三代目のもよう。

この役者が「桜屋の小万」として登場する公演を捜索。
すると『五大力色〆(ごだいりきいろのふうじめ)』という作品がヒット。この役者絵の出版年(1860)と同じ1860年の芝居番付が続々と出てきた。

興行地:江戸・守田座
上演日: 1860(万延元)年5月5日 (同年3月18日から万延元年)

これによって1860年5月5日興行の歌舞伎『五大力色〆』に合わせて出版された錦絵があることが裏付けられた。資料となった番付から、この興行で桜屋の小万を演じたのは三代目澤村田之助ということも裏付けがとれた。
今回は作品の詳細を理解するための資料が揃っていてかなり楽なケース。

ところがこの作品と同じ錦絵は(少なくともオンライン上では)未だ見つかっていない。

<参考文献>
浅野秀剛 2012「浮世絵は語る」講談社
石井研堂 1920「錦絵の改印の考証:一名・錦絵の発行年代推定法」伊勢辰商店
早稲田大学文化資源データベース「五大力色〆」
https://bit.ly/2Pf9cUm



桜屋の小万

豊国画『桜屋の小万』BlueIndexStudio所蔵

隣町のはじめて行った骨董屋で見つけた比較的状態のよい錦絵。これまた縁もゆかりもないような額に囲まれて、作品入りながら額の売り場に置かれていた。実際私も古い額を探しながらそこにたどり着いたわけだから不思議な縁だ。

その場で作品だけを取り出してみることはできなかったが、目立った欠損やカビもなく状態良好。額装はマットや木製額の様式からも現代の画廊などによるプロの額装だった。現在の額装の前も額装されていたなど、丁寧に保管されながら日本を離れたのではないかと想像している。

額を売る目的の値段設定で、作品の価値は加えられてないのが逆に寂しい気がしたが、どの道大事にする手に渡ったこの作品は強運を持っている。

「谷風」のタイトルと署名・印影

錦絵とガラス絵それぞれのタイトルと署名・印影を比べてみた。

まずタイトルの「谷風」。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

「谷」は多少の集中力はみえますが、「風」はかなり苦戦している。風は中学校の書道レベルでもバランスの取りにくい字。下書きに沿ってなぞったのだろうが、錦絵でみられるスッキリとした起筆・収筆には及ばない。ただ、遠目にはよく似て見えると言えるかも。

次は春英の落款と極印。錦絵の画像の画質で拡大するとこれが精一杯。残念ながらとても見にくい。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

錦絵のほうが非常に不鮮明だが大雑把ながらも文字の形の違いはハッキリわかる。それとガラス絵の方、極印と一部重なって大きめの朱文らしいものが見えます。これは錦絵の方には存在しない。印文は理解できていない。

最後に板元永寿堂の印。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

ここまですべて同じ画像を使っているが錦絵のこの部分は比較的鮮明に写っている。全体としてはよく写し取っている。ただ錦絵の方は山印の次が三つ巴だが、ガラス絵の方はボールが3つ、勾玉のかたちではないようだ。頂点のボールと下の2つにはそれぞれ短い線でつながっているようにも見える。

これら3つの比較から。
1)錦絵をガラス絵が真似ていることは明らか。
2)複写の精密度と錦絵にない印影(らしく描かれたもの)の朱文から、製作者に日本語の知識があったか疑問。
3)錦絵を基に作られたガラス絵を複数見る経験が必要。完成度を知りたい。
以上

錦絵「谷風」

錦絵《谷風》。
左側の画像が江戸東京博物館収蔵の錦絵《谷風》。

勝川春英画「谷風」(1790寛政2年~1804文化1年) 38.5x25.0cm 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵
勝川春英画「谷風」
50.5 x 32.0cm
E.Takino氏所蔵


錦絵の画面向かって右下、谷風の左足部分に欠損(別紙による補強)がある。
ガラス絵は画像が暗めで残念ながら画題や落款が見えにくい。

一見して錦絵とガラス絵は酷似している。

ガラス絵の墨線を辿ってみると、形はとれていても錦絵に見られる切れ味のいい線は見られない。どちらかというとたどたどしい線だ。タイトル「谷風」や落款、印影に関しては、ガラス絵はさらにもどかしい筆運び。絵具の濃度のせいで筆の動きが鈍くなった可能性もあるだろう。こういう点はほかのガラス絵をみて、どのような線質で描かれているか比較したいところだ。

もうひとつ、大きさが気になる。今回は2作品の画像を比較するために、見やすさを重視してなるべく同じくらいの大きさで並べている。
実際の錦絵は 38.5x25.0cm.
ガラス絵は額縁が塞がっているのが難点。フレームの内側で採寸すると50.5 x32.0cmだが、力士の身長なら頭頂から足の指先は46.5cm。幅は廻しの総から総で30.5cm。つまり背景を除いて、力士だけを切り取ったサイズは高さ46.5cm 、幅 30.5cmとなる。

この切り取ったサイズだと、ガラス絵は錦絵の約20%増しの作品になっている。現在ならばコピー機やコンピュータの印刷機能などで簡単に画像の拡大ができるが、それ以前の作品で、手作業ならばなかなか難儀な作業だっただろう。錦絵を元絵にした他のガラス絵作品の拡大サイズも比べて見てみたいものだ。

浮世絵の出版時期とガラス絵制作時期は必ずしも一致しないことは念頭に入れて置かなければならない。
制作時期の特定とどこで制作されたということに関しては、かなりの難題だろう。

見つかった錦絵は現在のところ江戸東京博物館所蔵のこの作品のみだが、このガラス絵の元絵はこの錦絵と考えて良さそうだ。

<参考サイト>
江戸東京博物館
https://bit.ly/3w986ul

ガラス絵とは

板ガラスの裏側から泥絵具や油絵具を使って描かれたものをガラス絵(ビードロ絵)という。裏から描いて表から鑑賞するものだ。

泥絵具とは、天然の土や貝殻を砕いて粉末状にしたものに膠を混ぜたもので、江戸時代は芝居の看板絵や絵馬の制作に使われた。不透明で濁った色と質感から油絵具に似たものと捉えられ、幕末から明治初期のガラス絵などに使われたそうだ。

ガラス絵は木版画の彫りと同じように元絵の裏側の図柄を描くわけだが、泥絵具は濃度があり筆致が残るため、表側から見える仕上がりを意識して、通常とは逆の順番で描いたようだ。

ガラス絵は当時国内で唯一海外に開かれていた長崎からもたらされた。江戸時代に長崎を通して中国のガラス絵が輸入され長崎派の画人が創作をはじめた。1570年の開港以来長崎にはさまざまなガラス製品が輸入されていて、ガラス絵の技術は長崎の職人にも受け入れやすかったのだろう。次第に江戸にも伝えられ浮世絵の美人画などを画題として制作された。

ガラス絵のサンプルを収集するべく、収蔵されていそうなオンラインサイトの検索を続けているが信頼にたる情報には出会えていない。錦絵に比べれば制作数が少ないことは覚悟していたが、加えてガラスは壊れもの、今日まで残る(残す)ことはなかなか難しいのかもしれない。


<参考文献>
小林忠「泥絵」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
東京芸術大学大学院文化財保存学日本画研究室編 2007「泥絵具」日本画用語事典 東京美術
 

《谷風》ガラス絵

ガラス絵の内容をみていこう。

まず画面向かって右上に画題「谷風」とある。青の背景に黒字で書かれている。ガラスの反射もあって少し見にくい。この作品が谷風を描いていることは、この力士の廻しを見るだけで一目瞭然だ。今で言う化粧廻しの形だが図柄はなく、谷風という名前だけ書かれている。実際の江戸時代の力士はどうだったかわからないが、相撲絵では名前だけの化粧廻しはよく見かける。

右側、化粧廻しの下がり(総:ふさ)の少し上に、「春英画」の署名と2つの印影のようなものが描かれている。

「谷風」E.Takino氏所蔵

2つとも陽文風。小さい方は黒字の円のなかにはハッキリと「極」と読める字が描かれている。改印による出版規制最初期、1790(寛政2)年〜1804(文化1)年に使われた印影を模したようだ。一方、それより大きく赤字で描かれた方は、私を書いたのか判別不明。漢字の知識がない人が漢字らしく、印影らしく描いたものように見える。この2つの印は一部重なるように置かれていて、見る側からは、黒字の「極」のほうが赤の上になっている。ガラス絵の特徴から、つまり赤が黒のあとに描かれたようだ。
とはいえ、現段階では画像を拡大してみているので、この点は実際に作品を見て確認することが重要だとおもう。

「谷風」E.Takino氏所蔵

もう一つ、谷風の右足元、内側にも印影を模したものが描かれている。これはかすかに見える状態でも記憶が蘇る板元だ。蔦屋重三郎などと並ぶ大手の錦絵版元、西村屋与八の永寿堂の印を模したものとわかる。

ここまでをまとめるとこうなる。
画題:谷風
絵師:勝川春英
改印ほか:極・?
板元:永寿堂・西村屋与八