「写楽画」という署名の春英作品

ボストン美術館所蔵のすこし気になる春英作品についてお話。

前回ふれた春英の大首絵、気になったのでボストン美術館アーカイブで春英作品を再び検索してみた。263作品がヒット。ガラス絵つながりの相撲絵はわずか5作品でしたが、役者絵は200点を超える所蔵数だった。

一作づつ見ていくと気になる作品が一点。

勝川春英画(1790頃)二代目嵐竜蔵ヵ
資料番号: 21.7270 MFA所蔵

作品中の署名は「寫樂画」、極印、そして蔦屋重三郎(耕書堂)の印。写楽がなぜ春英のアーカイブにヒットするのか。
でもこの役者、よく見ると春英が描く嵐竜蔵の輪郭や隈取りなどの特徴がみられる。

さて写楽の大首絵の最大の特徴といえば大きな顔にアンバランスな小さな手。そして衣装に定紋や替紋が施されて役者の見分けが付きやすい。

この作品ではいずれの紋も見当たらない。そして手の大きさ、顔や体格とアンバランスとは言えない十分な大きさがある。

ということで作品説明を見ると、春英の作品の落款部分を写楽の落款に差し替えた作品とのこと(Catalogue Raisonné Maybon, Le Theatre Japonais (1925)*)。つまり偽写楽。
MFAのタイトルは《二代目嵐竜蔵ヵ》?!「ヵ」が疑問符?

大首絵の代表絵師と言えば写楽。その名前を借りることで売上向上を狙った版元の悪巧みだろうかか。彫師によって差し替えられた署名。本来の作者である春英が気の毒だ。

<参考サイト>
勝川春英《二代目嵐竜蔵ヵ》Museum of Fine Arts, Boston *
https://bit.ly/3688opO(2021年6月12日閲覧)


勝川春英

ひさしぶりのガラス絵《谷風》の絵師、春英について。

このテーマを取り上げた最後は2018年4月25日。それなのに絵師については全く触れずじまいだったと気がついた。

勝川春英の俗称は磯田久次郎。1819(文政2)年江戸生まれ。江戸中期から後期の浮世絵師と言われている。号は九徳斎(くとくさい)。勝川春章に入門後1778(安永7)年にデビューし、作画期は天明(1781~89)ごろから文化(1804~18)とのこと。初期は師匠春章にならって役者絵を専らとしていた。大胆な描写と色彩感覚が評価されていたようだ。

春章は役者絵に似顔絵の要素を加えた初めの絵師の一人。それまでの作品は役者個人の特徴が見えにくく、人々は役者の衣装や持ち物に添えられた紋を頼りに役者の判別していた。役者の身体的な特徴を盛り込まれた大首絵は、スターの「プロマイド」(今でもあるのでしょうか?!)のように、ファンを引きつけコレクターを増やしたことだろう。そして寛政期になると春章・春好に変わって春英がこうした役者絵を牽引していく。この時期は東洲斎写楽、歌川豊国らの華々しい活躍の時期とも重なる。春英の雲母摺大首絵は写楽と同時期に刊行されていることから、両者の影響関係も推察できる。

にもかかわらず、寛政期のおわりごろ役者絵は急激な衰退をみせた。春英は時代の潮流を読んだようで、武者絵や相撲絵、肉筆画に力を注いでいく。
そして1819(文政2)年、57歳で他界。

さてガラス絵《谷風》のオリジナル作品と見ている錦絵《谷風》の製作年は、江戸東京博物館アーカイブによれば1790(寛政2)年~1804(文化1)年とされている。
春英は役者絵だけにこだわらずに広く作画活動を行っていた様子がここからも伺える。

写楽とライバル関係にあったとのこと。春英の雲母摺大首絵もみてみたい。

<参考文献>
浅野秀剛 2010 「浮世絵は語る」『講談社現代新書 2058』講談社
小林忠・大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂

<参考サイト>
内藤正人「勝川春英」『コトバンク 朝日日本歴史人物事典』
永田生慈「勝川春英」『コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)』
https://kotobank.jp/word/勝川春英-45133(2021/5/15 閲覧)

国芳の「擣衣の玉川」の犬

今回は犬の話。

前前回のボストン美術館所蔵の国芳作の続き物《六玉川 摂津国擣衣の玉川》。
手元にある作品は3作の真ん中に位置するもので、両側には2作品ある。それらの作品にはそれぞれに犬が描かれている。すこし気になったので、当時の犬について少し調べてみた。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川(1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFAの六玉川の続き物を見てみよう。
右側の振り袖の娘のうしろにはまどろむような白黒のイヌ、左の反物を持つ女性のうしろにはシャキッと番犬のように座るイヌ。こちらは2色のまだらにみえなくもないが、影のように表現効果をねらったのかもしれない。どちらも現在の中型犬だろう。

江戸時代、さかのぼって五代綱吉の時代に「生類憐之令」(1687・貞享4)が出され、とりわけ犬の地位が過剰なほどに向上した。犬の戸籍に専門医、犬目付の巡検など、犬を飼うのも容易ではないと捨て犬が増えて、その収容のために野犬の犬小屋を作ったほど。1709年の綱吉の死後やっとこの法令はとかれた。
いずれにしても江戸時代は犬や猫、鳥・金魚・虫といったペットが階層を超えて広く飼われたそうだ。なかでも犬は人に寄り添う性質が強いためか、育て方のマニュアル本が出版されるなど人気のほどがうかがえる。

暁 鐘成著 1800  犬狗養畜傳
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらが『犬狗養畜傳』、マニュアル本。一般的な犬の飼い方だけではなく、愛情を持って犬に接する心得や病の際の薬に至るまで記載があるそうだ。著者の暁鐘成(アカツキ カネナリ)は大阪の浮世絵師とのことだが、浮世絵作品は未だ見ていない。犬に特化した飼育マニュアルが出版されたところを見ると、やはり犬を飼う人は多かったのだろう。

中村惕斎編 1789「犬」頭書増補訓蒙図彙大成 21巻 [2]
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは『頭書増補訓蒙図彙大成』、今で言う図鑑。右側が犬のページ。
右ページの中央が「獒*(ごう)犬」とよばれ、体高が4尺(約120cm)ほどの大きな犬のこと。おもに唐犬(輸入犬)のことだ。毛がフサフサのむく犬が「㺜**(のう)犬」、手前の一番小型犬は単に「犬」。港郷土資料館の資料によれば、この「犬」は一般犬のことだそうだ。

国芳の擣衣の玉川に描かれている座っている犬は体高がありそうなので獒犬のようだが、輸入種が庶民のペットというのは少し無理がありそうなので混合種かもしれない。

国芳作品では犬や猫がたびたび見られる。この作品のように犬の特徴を描き分けていることからも、国芳が犬に興味を持って観察していたこと、好んでいたようだ。

そして幕末も犬は人気のペット。マーケティングに余念がなかった幕末の出版業界は美人と一緒に犬や猫を描くことも販売戦略として狙ったのかもしれない。

*獒(ゴウ):①おおいぬ(おほいぬ)丈が4尺以上のいぬ。②猛犬 ③つよい犬
**㺜(ノウ):けものへんに農という字、手持ちの辞典などでは見つからずWeblioによれば「日本語ではあまり使用されない漢字」とのこと

<参考文献>
貝塚茂樹他 1982 「獒」『角川漢和中辞典』角川書店  p.699d
西山松之助他編 2004「愛玩動物」『江戸学事典』弘文堂 p.398b 

<参考サイト>
暁 鐘成著 1800 『犬狗養畜傳』国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536385
中村惕斎 編 1789「犬」『頭書増補訓蒙図彙大成』21巻[2]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556824(2021年5月20日閲覧)
「㺜」weblio漢字辞典
https://www.weblio.jp/content/㺜(2021年5月20日閲覧)
港郷土資料館 2017「江戸時代の犬と猫」『港区立港郷土資料館へ行ってみよう!第14号』
https://www.minato-rekishi.com/pdf/kids/ittemiyo-14a.pdf(2021年5月20日閲覧)

摂津の玉川いろいろ

摂津の玉川は六玉川シリーズの一つとして長年にわたって人気のある画題。

ところで、詩歌に歌枕がつかわれるように浮世絵風景画にも土地ごとに決められた風物がある。その土地特産の植物や景色(ランドマーク)、古くから和歌に詠まれた枕詞などを継承して使われていたようだ。江戸の人々は草双紙や口コミなどから情報を得てこうした浮世絵の風物を見ただけで名所を判別できたのだろう。

摂津の玉川の風物は「うのはな」と「砧打ち」。摂津の里がある大阪府高槻市のサイトによれば、「うのはな」の和名は「ウツギ」といい、「砧」は「打つ木(ウツギ)」なので「うのはな」とつながるとのこと。

浮世絵のテーマとしては「砧打ち」風景が取り上げられることが多いようだ。
今回はボストン美術館のアーカイブから「摂津国擣衣の玉川」をテーマにした作品を3作品。

1)鈴木春信作品

鈴木春信画 (1766-1767頃) 
六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」
資料番号: 50.3601 Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

親子だろうか、装いから年齢差がみられる女性二人が砧打ちをしている風景だ。ふっくらとした面差し。木槌を持たせるのは気の毒なほど華奢な手。若い娘の振り袖は帯の結び目に差し込まれて腕を動かしやすくしている。ゆったりとした着物と帯の線のながれからのぞくスッとした首筋、いかにも可憐だ。砧打ちをしていると言うよりも楽器を奏でているような、どこか浮世離れした優雅さと儚さが入り混じった空気。名所画風のタイトルですがやはり美人画におもえる。窓には源俊頼(ここでは相模)の和歌「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里」が添えられている。

2)歌川広重作品

歌川広重画 (1835–1836頃) 諸国六玉川 摂津擣衣之玉川
資料番号: 21.9959
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

広重作品は名所絵。砧打ちが摂津擣衣の玉川の風物として描かれている。ここでも女性二人が向き合って(一人は幼子をおぶって?)砧打ちの作業をしている。満月に照らされて雁が渡り、初秋の北風にススキが靡くなかの砧打ち。田舎の素朴な日常が季節感ある詩情に富んだ風景として描かれている。そしてここでも俊頼の和歌が添えられている。
そして刷り上がったばかりのような瑞々しい色彩。それもそのはず、この作品はスポルディング・コレクションの1作。実際に鑑賞するのぞみが持てないのがとても残念だ。

3)喜多川歌麿作品

喜多川歌麿画 (1804頃) 風流六玉川 摂津
資料番号: 11.1969
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

この作品は6作品の続き物。こちらの砧うちは紅葉がハラハラと散る秋の風景だ。木槌ちを担ぐ女性に布を持つ女性、そして座っている女性が砧打ちをしている。背景の川は国芳の《六玉川 摂津国擣衣の玉川》と同様に続き物6作品にまたがって一筋の川が流れる手法。ただこの「風流六玉川」では、一筋の川が6箇所の玉川すべてを意味しているらしい。
国芳の砧打ちは牧歌的情緒を感じさせる風景ですが、こちらは市井の砧打ちの雰囲気を感じる。砧打ちの女性のしどけない姿など歌麿の女性たちの艶っぽさは江戸の香りをまとっている。 作品としては、美人大首絵で一斉を風靡した1790年代の絶頂期に比べると緻密さや品格が薄れて、むしろ退廃の空気が漂う。稀代の敏腕プロデューサー蔦屋重三郎ととも独自の表現を生み出した歌麿だったが、この作品年の頃蔦重はすでに亡く、執拗な出版規制の咎に力尽つきてきた時期かもしれない。

同じテーマを取りながらも三者三様の面白みだ。

<参考サイト>

歌川広重《諸国六玉川 摂津擣衣之玉川》 Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3vCjDS7(4/29/2021閲覧)

喜多川歌麿《風流六玉川 摂津》Museum of Fine Arts, Boston 所蔵
https://bit.ly/3tcdomq(4/29/2021閲覧)

鈴木春信《六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」》Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3tbRQGm(4/29/2021閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)



六玉川のひとつ、摂津の玉川

国芳の《摂津国擣衣玉川》の内容を見ていこう。

手元の作品には作品名がない。先日お話したとおりこの作品は3枚の揃いもので、他の2作のうちの1作に題名が記されている。

こちらがボストン美術館所蔵の完全版。

並べてみると紙から紙への絵柄の連続性がよくわかる。向かって右の作品に《摂津国 擣衣の 玉川》とタイトル。摂津国は現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。擣衣(とうい)とは砧打ちのことだ。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川 (1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFA作品では女性たちの奥に鮮やかな青色のうねりがみえる。タイトル付きの作品が山に近い川上で、左に向かって川下となり川幅が広がっている。手持ちの作品(下)は川も川岸も青の濃淡で彩色されているが、MFA作品は川岸が緑色の濃淡で随分印象が違う。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

玉川の「玉」とはうつくしいという意。海外美術館収蔵作品は玉川が「Jewel River」と英語訳されている。まれに見る美しさで貴重な川というイメージだろうか。
古くから日本各地の美しい川6ヶ所を六玉川と呼んでいた。山城国井手(京都府井手町)、近江国野路(滋賀県草津市)、武蔵国調布(多摩川)、陸前国野田(宮城県塩釜市から多賀城市)、紀伊国高野(和歌山県高野山)、そして摂津国三島(大阪府高槻市)の6箇所だ。

うちの作品は見ての通り揃物の中央に置かれる作品。この女性は筵に座って作業中。砧打ちといわれるこの仕事、手に持った木槌で砧と呼ばれる木製(石の場合もある)の台に巻きつけられている布を打っている。この作業をすることで布に光沢がでて柔らかくなるのだ。子どもを背負っての作業でこの量はかなり骨が折れるだろう。左の女性は作業が終わったものを持ち去ろうとしているのか。右の振袖姿の若い女性の奥にもむしろに座って砧打ちをする二人の女性が描かれている。

高槻市の公式サイトによれば三島の玉川は「砧の玉川」ともよばれる。砧打ちは古くから女性の仕事。秋の夜長の砧打ちの音が素朴で趣があることから詩歌にも多くとりあげられた。なかでも浮世絵でよく見かけるのがこの和歌。

松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里 
源俊頼 「千戴和歌集」より

秋の夜長のしっとりした空気と物悲しさが感じられる。

<参考サイト>
「摂津国」『コトバンク』
https://kotobank.jp/word/摂津国-87376(4/27/2021 閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)

《六玉川 「摂津国檮衣の玉川」》Museum of Fine Arts Boston
https://bit.ly/2S6ruZu(4/27/2021 閲覧)

柳沢敦子 2011「「多摩」か「玉」か 六玉川へ」『朝日新聞 ことばマガジン』
https://bit.ly/2QE6g4W(4/27/2021 閲覧)

「摂津国檮衣玉川」

しばらく役者絵の謎解きが続いたので、少しのんびりとした錦絵を選んでみた。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

まずは基本情報から。

作品名:摂津国擣衣玉川(せっつのくに とういのたまがわ)
板元:佐野善(佐野屋喜兵衛 喜鶴堂)
落款:一勇齋国芳画
絵師:国芳
押印:なし
改印:衣笠・濱(名主双印の時代)
出版時期:;1847(弘化4)年~1852(嘉永5年) 

この作品は三枚揃いの続き物の一作で、完全版はボストン美術館のアーカイブでも確認できる。

幼子をおんぶしながら砧打ちをする女性。子どもは少し飽きてきた?それともお腹が空いた〜?足を踏ん張ってなにか訴えているようで、女性は仕事の手を止めて思わず振り返っている。なんともほのぼのとした風景だ。
武者絵に長けた国芳の別の一面、国芳はほのぼの系もいい。

<参考サイト>
ボストン美術館:https://bit.ly/3xwpPgf(4/27/2021閲覧)

「頓兵衛娘於ふね」の裏面

《頓兵衛娘於ふね》は「神霊矢口渡」に題材をとった役者絵。以前、芝居番付チェックした作品だ。この作品には裏打ち(裏張り)がある。

一勇齋国芳画「頓兵衛娘於ふね」(裏面) BlueIndexStudio所蔵

神奈川県の公用紙、薄手のかみながら「神奈川県下」と印刷されている。裏打ちは主に作品の中心部。表の錦絵の「於ふね」がうっすら透けて見える。
内容は大まかにはこんな感じ。

農車検◻願
南多摩郡南桑田村下田
㐧(第)八番地
一、農車一輌 新保富…*
右は今般新調仕候…*
相成度候也

明治25年2月1日 新保富…*

神奈川県知事内海忠勝
前書の通り相違い無し互也…*
南多摩郡南桑田村…*

明治25年2月1日 斉藤文太郎


◻印のところは「原」に見えますが、それでは意味が通らない。
*印のところは紙が裂かれていて続きが不明。

この裏打ちに使用された紙は、農業用車輌(農業用トラクタのようなものでしょうか?)の県への届け出の下書きかと想像している。

錦絵《頓兵衛娘於ふね》は1848(嘉永元)年の作品とわかっている。裏打ちに使われた紙に明治25(1892)年の日付があるため、この錦絵はそれ以降に裏打ちされたことになる。
用紙が使用地が限定されるものであり、海を渡る前に作品の補強がなされたと考えるのが自然だろう。

作品が世に出てから裏打ち用紙の日付まで44年。反古紙を使用したとはいえ、やはり障子の張り替えなど行っていた時代の人は現在よりずっと紙の扱いに慣れているようだ。

この錦絵が江戸の絵本問屋の店先にならび、江戸っ子の楽しみか、巡礼途中の物見遊山の土産物か、人の手を経て今日まで。今の状態から想像するに、170年以上本国でも異国でも大切にされてきた幸運な一枚だ。



芳瀧 晩年の活躍

なんと、芳瀧デザインのアサヒビールの広告が存在するのだ。

アサヒビール公式サイトより
https://www.asahibeer.co.jp/area/07/27/sakai/komakichi_vol04.html

天の岩戸から現れるアサヒビールを神々が寿ぐ様子が描かれている。
そして右上、旗に見立てた枠の中に「波に朝日」の図柄の登録商標。これはビールのラベルデザインの原型となって昭和まで使われたものらしい。

有限責任大阪麦酒会社(現・アサヒビール株式会社)は1889(明治22)年創立。明治25年の広告デザインを通して芳瀧と、社長の鳥居駒吉、取締役の宅徳平らとの親交が始まった。
当時の芳瀧の大阪での交友については、まえに話した弟子で娘婿である川崎巨泉が書き残していることが、以下の森田 俊雄(2009)によって指摘されている。

「情歌とは「よしこの」と読み幕末から明治に大阪で流行したよしこの節のことである。巨泉は雑誌『上方』(昭和 10 年 10 月号)に「アサヒビールと情歌」を書いたが、これは芳瀧が 1892(明治 25)年に大阪錦画新聞 アサヒビールの朝日に波のラベルを描いた縁で、その頃情歌がはやっていたので平瀬露香、 鳥居駒吉、宅徳平、北村柳也を撰者に旭、麦酒、吹田(筆者注:現在の大阪府吹田市の事) を題にして一般から情歌を募ったという話である。「昔むりやりこらえた苦味今は吹田の旭ビール」などの歌が紹介されている。」

この「よしこの節」というもの、今回はじめて知った。晩年の芳瀧は絹本や戯作・狂歌なども良くしたとのこと。幕末から明治へと生活様式も大きく変化するなかで、芳瀧の柔軟な感性と人脈が晩年の創作活動を後押ししたようだ。

それにしてもアサヒビール。今や世界で飲まれているビールだ。その誕生の一端に手元にある錦絵《妹背山婦女庭訓》の絵師の活躍があったとは。

遠い昔だと思っていた明治が少し身近に感じられる発見であった。

<参考文献>
森田 俊雄 2009「おもちゃ絵画家・人魚洞文庫主人川崎巨泉(承前) ―浮世絵師からおもちゃ絵画家への軌跡― 」『大阪府図書館紀要』(38)大阪府

堤の夜桜の花見美人

お正月に掲載した錦絵。

豊国画 BlueIndexStudio所蔵

作品名:堤の夜桜の花見美人(つつみのよざくらのはなみびじん)
板元:馬喰町三丁目 江﨑屋辰蔵
落款・押印:香蝶楼豊国・年玉印
絵師:豊国III(国貞、自称2代目豊国)
改印:村 1843(天保14)年〜1847(弘化4)年
出版時期:1844(弘化元)年〜1847(弘化4)年

この作品はボストン美術館にも収蔵されている。おかげで3枚続きの1作とわかった。
手元の作品はそのなかでも特に満開の桜の木が多く描かれている。一方、他の作品には対岸や川に浮かぶ船、中洲もみえて、夜桜名所の隅田川堤であることが一目瞭然だ。
改印は3作とも同じなので出版時期は近いようだ。板元も同じ。ただ署名は、下の左1作だけ「国貞改二代豊国画」と記されている。

Women Viewing Cherry Blossoms at Night on the Riverbank(1843–47)
MFA: 11.15819-21

そして真ん中と手元にある右側に置かれる作品が「香蝶楼豊国画」の署名。
国貞の豊国襲名は文献上1844(弘化元)年とされている。「二代」と自称していたが実際は三代目。3枚のうち襲名をアピールする「国貞改二代豊国画」署名の作品が最初に出版された可能性は高い。そしてこの連作は豊国を襲名してまもない頃に出版されたのではないかと推測され、出版年の仮定は1843年からではなく、1844年12月から始まる弘化元年から1847(弘化4)年考えられないだろうか。

同じ板木の作品がオンライン上で見つかると、画像を拡大して版に刷られた木目を見たり色の違いを見たりといろいろな比較ができる。特に海外の美術館はコレクションをデータベース化してオンラインで閲覧できるようになっているところがかなり多い。その点ではありがたい時代になったとおもっている。


<参考文献>
石井研堂 1920「錦絵の改印の考証:一名・錦絵の発行年代推定法」伊勢辰商店
小林忠・大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂

<参考サイト>
「Women Viewing Cherry Blossoms at Night on the Riverbank(堤の夜桜の花見美人)」Museum of Fine Arts Boston(3/21/2021閲覧)
https://bit.ly/3f64VgX

妹背山の謎解き、作戦変更

芳瀧の謎解きについて、今日は違う角度から考えてみた。

ここまで報告してきたとおり、芳瀧の妹背山は改印がなく、現状では役者番付も主要美術館での所蔵の形跡もなく、頼みの綱のデータベースも早稲田大、立命館大とも手がかりなし!
オンライン頼みの私には、なかなか厳しい状況だ。

ここは基本に立ち返り、芳瀧の作品そのものから手がかりを得る作戦に移ろうと思う。

まずこの作品の特徴。

1)登場人物が多い
2)登場人物は役の中のような衣装や小物を持ってポーズをとっている
3)縁側や欄干、その奥には松が見えるなど、劇中の一場面のような背景
4)全体の配色が赤・青・黒を基調としているが、なかでも青が特に多い
5)画面の縁に青と紙の地色を一定の間隔で交互に並べることで四面が縁取りされている
6)画面上部、ツートンの縁取りと一文字ぼかしのあいだに御簾が描かれている。
7)外題、絵師落款、版元とそれぞれの配役・役者名は、全て赤色の短冊状に表示されている

まずは芳瀧作品をしっかり見て、こんな特徴を持つ作品を集めてみるとしよう。