アルカラ・リ・フシ「フェスタ・デル・ムッツーニ」

シチリアの北部アルカラ・リ・フシ(Alcara Li Fusi)という村では、毎年6月24日「フェスタ・デル・ムッツーニ(Festa del Muzzuni:ムッツーニの祭り)」という催しがある。
イタリア最古の祭りで盆に置かれた洗礼者ヨハネの頸が村を練り歩くという。それを聞いては見に行かずにはいられない。

シチリア北部、小さな町々を横目にどんどん海抜が上がっていく。すると薄もやの中から険しい岩肌が見えてくる。道路は日光のいろは坂並の山道で、車酔いしそうになりながらひたすら上がっていくと、いきなり視界が開ける。まさに秘境。教会を見上げながら路上駐車列の最後尾にたどりつき車から降りると、すでに日が傾き始めた空は真近かにみえる。道路脇から見下ろすと驚くほどの高さまで登ってきていた。

本来この祭りは6月23日〜25日の3日間だが、クライマックスは24日のムッツーニの夜。
車の混み具合とは裏腹に通りの人影はまばら。すでに教会のミサが始まっていた。
教会に入る。祭壇の横にはお盆にのせられた洗礼者ヨハネの頭部がおかれていた。

ところで、ムッツーニとは首のない水差し 「mozzata(モッツァータ):切り落とされた」、または刈られて束に集められた小麦 「(mazzuna(マズーナ)」から派生した言葉らしい。また宗教的な観点からは 「decollato(デコラート):斬首された」聖ヨハネ と捉えられる。ギリシャ文明にまで遡る古代儀式の流れをくむ農民によって行われる異教の祭りだそうだ。 豊饒を讃える儀式は、自然や愛、若さへの賛歌と考えられている。

夏至と同時に行われるこの祝祭はもともと6月21日に行われた。 しかし、キリスト教の到来によって、斬首された殉教者聖ヨハネに捧げられた6月24日に変更された。 それ以来この儀式は異教とキリスト教の要素が混合され、何世紀にもわたって繰り返されてきたのだ。

6月24日夕方、教会では洗礼者ヨハネに捧げるミサが行われ、そのあとお盆にのせられた洗礼者ヨハネの頭部は緩急の厳しい山腹の村を司祭や信者、村人とともに練り歩くのだ。

行列が終わると村人は三々五々広場から離れていく。その間にパーティーの準備段階が始まりる。教会の前にある小さな噴水広場がこれから行われるパーティーの会場だ。シルクのスカーフで覆われたカットネックの水差しが置かれ、水差しの上部から暗闇の中で発芽した大麦や小麦の茎、ラベンダー、小麦の穂やカーネーションが見える。ムッツーニの祭壇も設置完了だ。

そして夜が深まり教会前の噴水広場が人々で埋め尽くされるころ、着飾った若い女性たちがあらわれる。彼女らは古代の異教の巫女の象徴。ムッツーニを外に持ち出し、すでに準備ができていた祭壇の上に置く。 ここからがパーティーのはじまりだ。歌手たちは農民の生活や愛や求婚の歌をうたい、若者たちはみな踊り出すのだ。

二つの行事は首がないとか刈り取られたという意味の共通点があるが、内容の理解には歴史をかなり掘り下げる必要がありそうだ。深夜のパーティは五穀豊穣へ感謝や願いと若い男女の出会いを重ねているようで、昔から行われた日本の農村で行われてきた盆踊りなどの村祭りに似ている。しかしその祭りと洗礼者ヨハネの斬首の日をわざわざ重ねている。残酷さと若者が生み出す歓喜。これもいわゆるメメント・モリ、生と死の隠喩なのか。

深夜、カーブが続く細い夜道は街灯もなく、車のライトに照らされる木々の間から時折りみえる野生動物の眼光に目を奪われながらひたすら下る。本線道路に出たときは思わずホッとした。神秘的な祭りと山深い村の雰囲気、長く続く帰路の闇もふくめて、しばし異次元を漂ったかのような経験だった。

ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ

イタリア・シチリアの第二の都市カターニアから車で約1時間半のピアッツァ・アルメリーナという地で発見された古代ローマ時代の有力者の別荘が、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ (Villa Romana del Casare)だ。1997年世界遺産に指定されている。気温35度の炎天下、意を決して訪ねてみた。

四方の海から十分に内陸に入ったこの土地は、古代ローマの大土地所有制ラティフンディウム(latifunduim)と関連した別荘として非常に高い地位の有力者が所有していたと言われている。古くは1世紀から素朴な邸宅があったようだ。ここが最も発展した4世紀の建造物の下に紀元後1世紀までに作られた壁の残骸が発見されたことでこれが証明された。現在残るものは361年から363年の地震の後に増築されたものとされている。

浴場の外側にあるボイラー

4世紀は大広間をはじめとする各部屋や廊下などに豪奢な装飾が施されるなど、全体として非常にで充実を見せた時期だという。5〜8世紀には古い構造の上に田舎の集落が建てられた。その後も様々に変化しながらも集落として使われていたが、12世紀後半に大規模な崩壊がありこの地は放棄された。14〜16世紀に再び活気を取り戻すも17〜18世紀に頻繁に発生した洪水により水没し忘れ去られた。

床のモザイクを見る見学者

1820年サバティーノ・デル・ムト(Sabatino del Muto)の指導で発掘が行われ遺跡の大部分とモ
ザイクの床が発見された。

最初の発見から採掘や研究が継続されていたが、1900年代半ばになると遺跡保護のプロジェクトも始まり段階的に現在の形が作られたようだ。

来客を迎える玄関から続く回廊



3500㎡の遺跡は現在、全面が屋根で覆われて見学者用の通路は高い位置に作られている。壁のような仕切りはないため歩きながら四方広範囲が見られ、そこから見下ろすモザイク画の大廊下などは圧巻だ。

右は来客用の玄関から続く列柱に囲まれた中庭。内側がモザイクが敷き詰められた回廊となっており中庭の中心には噴水が備えられている。床のデザインは月桂樹の冠を模したメダリオンの中心に動物の頭部が描かれ、4隅には植物や鳥が置かれている。別荘の主人が来客に対して富と権力を誇示する最初のインパクトになっただろう。

浴場に向かう家族

別荘には50を超える部屋があり、床を埋め尽くした豪華なモザイクは、用途にあわせて意匠を凝らした贅沢で洗練された仕事ばかりだ。モザイクのマエストロはアフリカから呼び寄せられたと言う。北アフリカ、エジプトあたりとの国交だろうか。
左の画像は浴室前の脱衣所。女主人と香油や入浴用具を持った人々が入浴に向かう様子が描かれている。

主寝室
十人娘の間




他の部屋も、主寝室にはロマンティックなカップルのモザイク画、キッチン(パントリー)にはフルーツなどの図柄をとりいれるなど、それぞれに細やかな意匠を凝らしている。

「十人娘の間」と呼ばれる部屋には、スポーツを楽しむビキニ姿の少女たち。健康的で活発な少女たちの動きが古さを感じない。しかしよく見ると、例えば右下の少女、プロポーションとポジションのバランスがとれていない。ちなみに左上部角の欠損部分から少女たちのモザイク画の前にあったジオメトリックなデザインのモザイクが見えている。フレスコ画の壁は残念ながら多くは残っていない。
当時の画材と技術の未熟さのせいだろう。水没も経験しているはず。残念だ。

大狩猟(部分)

この廊下が最も有名だろう。
幅5m長さ約66mの細密なモザイクで埋め尽くされた大廊下。これが「Grande Caccia(大狩猟)」
ローマのサーカスで興業に使われる動物(猛獣)を捕らえる狩猟旅行の様子が描かれている。ライオンやトラ、ぞう、珍しいサイや神話上のグリフィン(頭は鷲、翼があるライオンや蛇)などもある。珍鳥や魚の類いもあり、驚べき種類の多さだ。捕らえられた動物は騎士などの監督下で働く人々によって船に積まれていく。まさに壮大な狩猟大航海の物語だ。

大狩猟(部分)

この別荘が、海外からの動物の輸入で財をなした人物が所有した時期があるのではないかと言われるのは、この壮大な大廊下画によるのだろう。こうした美術品があれば主は自慢の大航海物語を披露して話も弾み、来客を飽きさせることはなかっただろう。

大狩猟(部分)魚を捕獲する場面だが不思議な生き物も見える

こうした装飾の芸術性、物語性からは所有者の高い教養と洗練された美意識がうかがわれる。また、別荘内が私的なスペースにとどまらず「Basilica(バジリカ)」もある。古代ローマではこれは集会場・公会堂である。ここでは大理石をふんだんに使うなどこの別荘の中で最も贅沢な材料が使われているそうだ。
こうした豪華な装飾を施した邸内には浴場あり、床暖房有りと当時の最新の設備をふんだんに取り込んでいる。相当高いレベルの支配階級にいた人々が所有していたことは明らかだ。

モザイクに関しては、紀元後まもなくアフリカからモザイク制作者を呼んだとなると、思い浮かぶのはポンペイで発掘されたモザイク画《La battaglia tra Dario e Alessandro(Battaglia di Isso)》だ。エジプト・アレクサンドリアのモザイク師が作ったと言われている。もしやこの別荘もアレキサンドリアから高度な職人を連れてきたのかもしれない。

画題に関しては、動物や自然、音楽やダンス、ゲームやスポーツなど日常生活の様子や神話からとられていて、宗教色が見当たらない。「大狩猟」廊下中心から入る大広間はバジリカというが、現代人が想像する教会の意味ではなく集会場や裁判所のような場所だ。当時は初期キリスト教から中世。これまでラヴェンナとヴェネツィア、パレルモ、ナポリの考古学博物館のポンペイのモザイクをみたことがあるが、宗教的な作品のほうが記憶に残っている。(中でもラヴェンナのサン・ヴィターレが忘れがたい。)
しかしここはラヴェンナに見られるような煌びやかなモザイク宗教画があらわれるビザンチンにも至らない時代だ。こうしたこともあり当時の人々の文化を象徴した別荘になったことは、結果的にはより独特で非常に興味深い。

シチリア全土で今年一番の暑さを観測した日、扇子を駆使し酷暑のなかまわった甲斐があった。当時の客人にどれほどのインパクトと興味をもたらしたかと想像に難くない、見れば見るほど惹きつけられる作品群だった。

参考サイト
Museo Archeologico Nazionale di Napoli 「La battaglia tra Dario e Alessandro」
https://www.mann-napoli.it/mosaici/#gallery-3

Villa Romana del Casale
https://www.villaromanadelcasale.it/villa-romana-del-casale-piazza-armerina/

Unesco Villa Romana del Casale
https://www.unesco.it/it/PatrimonioMondiale/Detail/126

坂本龍一

坂本龍一の最新作「12」

心の乱れの特効薬。
ヨガよりも瞑想よりも脳の働きを落ち着かせる薬よりもよく効く。
無重力空間を静かに漂っているかのような感覚。
音楽が余計なモノをすべて取り払って「空」の環境をつくるのかもしれない。

このジャケットは李禹煥作。
異なる色は、異なるもの。
様々なことがら、近く遠く、離合集散しながら、しかし私たちも環境も変化していく存在。

YMO時代からずっと、作風の変化もふくめて好きでずっと聞いてきた坂本龍一の音楽。
やはり好きな造形作家、李禹煥と、最後につながった。

教授は彼の地の人となったが、同じ時代を生きて彼の生き方と作品を体感できたことは幸運だった。
坂本龍一という人とその作品に、心からの感謝を伝えたい。

紙の本のジレンマ

数年ぶりの紙の本。

近所にちいさなちいさな本屋さん、開店当時から気に入っている。というのもショーウィンドウの書籍紹介や店内の本に添えられたキャプションに本好きオーナーの情熱が溢れているから。

ある日、一冊の本が目にとまった。タイトルは『The Narrowboat Summer』。イギリスの産業革命の頃、イングランドとウェールズで狭い運河の貨物輸送用に使われた極端に幅のせまい、ひょろ長い船のことをナローボートという。

こちら、のどかな田舎の運河にすすむ青いナローボートが描かれた表紙。

紙にたまる水彩絵の具の濃淡も瑞々しくて、つい、手にとって読んでみたくなる。

既に話しているが英語語彙貧困な私は、英語本を読むには電子書籍に内臓されている辞書が必須となる。しかし今回は表紙に惹かれて紙の本を購入してしまった。

読み始めてから、かれこれふた月。読み終わったのは1/4程度。日常の中の話なので会話も多く比較的読みやすいにもかかわらず、通常に比べるとかなりの遅読。実はこれは辞書機能がないという理由ではなく、むしろ紙の本の特性のせい。つまり、紙の本を読むには明かりが必要。そのことが視力に問題がある私にとって、読書の機会を大幅に減少させている。ああっ、紙の本。思いがけないジレンマ!

デバイスの明かりは視力を衰えさせるが、慣れてしまうととても便利。でも明かりの強さに気をつけたり長時間にならないように意識しないと視力はすぐに衰える。これは残念ながら経験済み。この点も、紙媒体かデジタルか一長一短で悩みどころだ。

しかしながら紙の本は、眼にやさしいうえにページを捲るかすかな音や紙の触感、終わりに近づくと少しづつ慎重に読み進めるなど楽しみが多い。そして、本の内容が一層深く心に刻まれる気がするのは私だけだろうか。

「相撲」の意味

今日のテーマは相撲という言葉。

相撲は長い歴史を持ち日本独自のスタイルを有する格闘技として、海外でもよく知られている。私には全く未知の世界だった。そんな私が海外で”相撲の意味は?”と訊かれて絶句。

以下、コトバンクの日本大百科全書ーニッポニカによる説明の一部だ。

インドでは、悉達多(しっだるた)太子(釈迦(しゃか)の幼名)が相撲に勝って姫を得たことが、釈迦一代記の『本行経(ほんぎょうきょう)』にみえる。この経本を409年にインド人が漢訳したとき、梵語(ぼんご)のゴダバラを「相撲」という新語で表現し、これが6世紀中ごろ日本に伝来すると、以前からあった「争い」「抵抗」などを意味する大和(やまと)ことばの動詞である「すまふ」に当てはめ、やがて「すまひ」の名詞に変化し、のちに音便化していまの「すもう」になった。

漢訳で誕生した「相撲」という漢字は、大和言葉で「争う」などの意味を持つ「すまふ(すまう)」「すまひ(すまい)」を日本語の“読み”とし、年月を経て発音の便宜性から、現在の「すもう」となったとのこと。

これらの大和言葉を古語辞典で引いてみた。

「すまふ」は、力で抵抗する、強く断るという意味を持つ自動詞「争ふ・拒ふ」、名詞が「すまひ」とある。「相撲(すまひ)」の語釈には「二人が素手で組み合って闘う競技」とのこと。

最後に漢字の方。
「相」は「互いに」「ともどもに」「2つの物事が互いに関係しあう」という意味。「撲」は「うつ」「うちあう」「なぐりあう」「たおす」など。2つの漢字「相撲」で、「互いにうちあう」。

たしかに相撲そのものだ。相撲のような道具を必要としない格闘はギリシャ・ローマ神話にも度々登場するし、古くから世界中でおこなわれたスポーツだろう。それにしても相撲の語源がお釈迦様とつながるというのは驚きだった。

インド人による釈迦一代記の漢訳は409年で日本は古墳時代。日本史上の仏教伝来は6世紀飛鳥時代。漢訳と日本伝来までにかなりの時間差あったはず。

母国の文化を訊かれて答えられないのはやっぱり恥ずかしい。異文化の視点からの疑問に本当に学ぶことが多い。

たまにはNHK Worldの大相撲を見てみよう!

<参考文献>
大野晋 2011「すまひ」「すまふ」『古典基礎語辞典』角川学芸出版 p.658c – p.659a
貝塚茂樹他 1595「相」『角川漢和中辞典』角川書店 p.756d
貝塚茂樹他 1595「撲」『角川漢和中辞典』角川書店 p.450c

<参考サイト>
池田雅雄・向坂松彦 2019「相撲」『コトバンク 日本大百科全書 ニッポニカ』https://kotobank.jp/word/相撲-85069(9/28/2021 閲覧)

チャコールチップ

観葉植物用の炭の話。

日常をともにする観葉植物は家族も同然。可能な限り長生きしてほしい。そして、丈夫で育てやすいといえばポトスとサンセベリア。切り落としたものを水栽培にしてもどんどん増える。

水栽培で一番の問題は水の濁り。一緒に入れている装飾用の小石もすぐに水垢まみれ、しかもヌルっとなって気持ちが悪い。

そこで思い出したのが備長炭だ。炊飯や浄水につかうものなら植物にもいいかもしれない。

近所の観葉植物ショップには取り扱いがなかったが、お店の人もチャコールチップはハイドロにも土植えの鉢にもとてもいい!と太鼓判。仕方なくアマゾンで怪しげな備長炭…はやめて、ガーデニング用のチャコールチップを購入。
小ぶりのサンセベリアをハイドロカルチャにしてみた。

ガラス容器の中はチャコールチップと水だけ。炭の黒も湿っていると溶岩石のようにもみえまる。白く見えるところは乾いたところ。このサンセベリアも、一緒に作ったポトスも全く問題なく環境に馴染んだ。

水の量はチャコールチップの高さの1/3~1/2程度。植物のグリーンと黒のコントラストもスッキリとして満足。

外国語に翻訳された日本の本

翻訳本の話し。

日本語の知識がない人が日本の作品を読みたい時、外国語に翻訳されたものを読むことになる。ところが残念なことにその翻訳本が少ない! 他の言語に比べたら多そうな気がする英語訳でさえも、日本語に翻訳された他言語の本に比べようもなく少ない。最近はアニメが日本語への入口になっているなど日本文化に興味を持つ外国語話者は増えているようだが、読書の需要はまだまだのようだ。

実は先日、あるイタリア人からオススメの日本の本をおしえてほしいとメールがあった。文章を書くことを専門としたジャーナリストであるこの女性は、日本人のものの考え方、美意識などを文学を通じて理解しながら日本の造形文化を楽しんでいる。

もう10年以上前、川端康成の『掌の小説』(イタリア語訳)をプレゼントしたことがあった。私自身この作品がとても好きで、どうしても彼女に読んでほしかったのだ。うれしいことにとても気に入ってくれて、それ以来たびたび、おすすめ本のリクエストがあるというわけだ。

さて今回リクエストのために、まずはAmazon.itで翻訳本チェック。おすすめしたい本があっても翻訳されていなければどうしようもないからだ。結果は本当に本当に少ない!! 近年のものならデジタルになっているかと探したものの、それも期待はずれ。翻訳って本当にむずかしいのだ。それはわかるが…なんとかなりませんか!と悲しい気分。せっかく読みたい人がいるのになぁ。

こうなるとあるものから選ぶよりほかない。とは言え、この2冊、文句なしの太鼓判というレベルで決定。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』と夏目漱石の『吾輩は猫である』

谷崎のこのエッセーは日本文化理解への王道。漱石の猫は力まず読めて猫に語らせた漱石の(自虐的?)哲学に満足感ありと判断した。オリジナルはすばらしいのであとは翻訳しだいだ。

昨年来のパンデミック。ワクチンが始まった今でさえ目に見えない閉塞感が拭えないなかで、異文化から吹く風が、彼女の夏の休暇にポジティブな空気をもたらしてくれることを願っている。


因果律

最近、深層心理学者河合隼雄の動画をYouTubeで発見。その動画のなかで『原因と結果』についての興味深いお話しがあった。

1)「マニュアル通りにすれば結果としてその機械が動く」というような「こうすればこうなる」という考え方が現代人に馴染みすぎていて人間関係においてもその方法が通用すると信じている。

2)人間関係にこの法則を当てはめる人は、自分自身はその関係の外で問題を操作しようとしている。

河合先生はこの話しの際に不登校の親を例をあげている。
不登校の子供の親はなぜ子供が学校に行かないかの原因を子供に尋ね、親に詰め寄られて答える子供の言葉から原因“らしきもの”を得てそれを排除し通学させることに懸命になる。しかし多くの場合それで不登校が治るわけではないという。親としてはマニュアル通り動かせば機能する機械のように、子供を思うように動かしたい。こうした親は、子供の不登校の原因のなかに親(自分自身)を入れずに原因を見出して機械のスイッチを押して操作するように解決しようと考えるのだそうだ。

人間は「完全に一つの世界」と河合先生。人間は文化や環境など様々な要因によってベースとなる部分に共通の考え方があったとしても、個々に独立した思考を持っている。そんな人間同士が関係する時、物を操作するように他の人間を操作、コントロールすることは不可能だ。

たしかに。今や因果律を信じすぎているかもしれない。
私はちゃんとやってるのに、なぜうまくいかないの!?
自分でストレスを増やしているようなものだ。

玉石混淆のYouTubeだが、面白いものも潜んでいる。

ピクトグラム

先週から東京2020オリンピックが始まっている。この開催については色々と思うところはあるが、ほぼ無観客でもこれまでの成果を発揮しようと頑張る選手を見るにつけ、応援せずにはいられない。

さて本題のピクトグラム。簡単に言えば「絵ことば」。言語を介さずに図によって情報を伝えることができる便利なツールだ。公共の場でよく見かける非常口のサインや禁煙マーク、トイレや水飲み場の表示などは日常的に見られる。言語を介さないわけですから言語能力の有無に関わらず理解可能なユニバーサルデザインというわけだ。

今、この言葉をググると先日のオリンピック開会式でのサイレント・パフォーマンスの話題で持ちきりだ。今回のオリンピックでは50の競技種目があるそう。そのため競技を表したピクトグラムも50種類ある。

今回のオリンピックの開会式で3人のグループが無言劇で、5分間ですべてのピクトグラムを表現してみせた。もちろん早変わりを手伝う黒子ならぬ白子もいるのだが、その早業と正確な出来栄えがまさに世界中の話題となっている。サインの形を人間が模すというアイディアそのものがまず独創的ということらしい。

このピクトグラム、日本では1964年の東京オリンピックから使われだしたそうだ。外国語話者が少ないころ多くの外国人を迎える日本人にとってはとても便利なツールだっただろう。

今回のピクトグラムの無言劇をみていて古い記憶が蘇った。
昔日本で仮装のコンテストのようなTV番組があった。人がいろいろなモノや生き物に扮してみせるもの。小型の舞台装置とともにメインの役者と黒子のような人々がちょっとした動きを見せてその本当らしさを競うものだった気がする。今でもあるのかはわからないが、今回のピクトグラムの無言劇に通じるものがある気がする。







『Klara and The Sun』

カズオ・イシグロの新作『Klara and The Sun』。はじめて原書で読んだイシグロ作品となった。

主人公KlaraはAF(Artificial Friend:人工の友達)とよばれる家庭用ロボット。AFの役割はその名の通り持ち主の親友になること。ロボットは機械なのである一定の共通した機能で作られて持ち主の使用に応じて何かしら特徴をもつAIBOのようなものを想像していた。しかしKlaraが売られていたお店のようすから、この物語の中のAFは初めからそれぞれのパーソナリティをもっていることがわかる。AFを販売するお店のマネージャーは、どんな細部も見逃さない観察力と洞察力が際立っているAFとして、Klaraを高く評価している。

この物語ではそんなKlaraの経験が、彼女の言葉で語られていく。

KlaraはJosieというティーンエージャーの親友になる。Josieは難病を抱えている。母親、ボーイフレンド、父親など彼女を取り巻く人々もまたJosieの病によって痛み、そこから個々の問題もまた浮き彫りになる。Klaraはそうした彼らにとっても、ひととき心を許せる存在になっていく。

Klaraは日常で経験するあらゆることを観察してデータとして取り込んでいる。そこから人間の心の機微や行動様式を理解している。いわゆる空気が読める言動まで可能な高度な社会性を身につけながら献身的にAFの役割を果たそうとしているのだ。

そんななか、Josieの病の先が見えない状態にJosieの母親は最悪の事態を想定しはじめる。つまり、もしもJosieが死んでしまったらKlaraをJosieの身代わりとして残りの人生を生きてゆこうというもの。今は一人娘のJosieですが実は亡くなった姉がいた。Josieの母親は娘をふたりとも失うのではないかという不安に苛まれているのだ。母親はKlaraと二人きりになったチャンスにJosieのマネをさせてーKlaraはデータ化したJosieの特徴を利用してJosieのように振る舞えるーその出来栄えに満足する。そして母親の痛みを理解できるKlaraはJosieになりきる準備という、親友としてJosieに幸せを与えるという役割とは相反する使命も負うことになるのだ。

Klaraは太陽の力を信じていた。Klara自身もソーラーパワーで機能しているのだが、AFショップのショーウィンドーから、動かなくなっていたホームレスとその犬が翌日元気になったのを見て太陽の恩恵だと信じていた。太陽が持つエネルギーは、植物の成長を促すように人間に対しても豊かな滋養があると考えていたのだ。Klaraは親友のJosieにもその恩恵がもたらされるよう太陽に何度も働きかける。そしてJosieの快癒の希望が失われたかに見えたとき、力無く横たわるJosieのうえに燦々と太陽が降り注いだのだ。
そしてJosieは意識を取り戻した…

さてこの先、この物語が問いかけてくるものがとても深い。
人と人を生きやすくするために人によって作られたロボット。そのロボットが限りなく人に近いものになっていく。そしてある意味人がなりえない、人にとっての理想の存在となっていく。しかしそれはどこまでも人にとって都合の良い便利なモノ。

人のエゴ、倫理観…日頃ふっと意識に浮かんでは消える疑問を突きつけられたような終盤。

今私達が直面している様々な問題は私達自身が生み出したものなのだと。森羅万象すべてが人のために存在するって思い込んでいるのではないか?人って何なんだろう、生きるって?

児童書のような親しみやすいタイトルに隠された深淵。
拙い英語力で読み飛ばしもあるはず。そんな時はいつもならすぐに読み直すのだが、それが憚られるほど、ずっしりと疲労を感じる作品だった。