「写楽画」という署名の春英作品

ボストン美術館所蔵のすこし気になる春英作品についてお話。

前回ふれた春英の大首絵、気になったのでボストン美術館アーカイブで春英作品を再び検索してみた。263作品がヒット。ガラス絵つながりの相撲絵はわずか5作品でしたが、役者絵は200点を超える所蔵数だった。

一作づつ見ていくと気になる作品が一点。

勝川春英画(1790頃)二代目嵐竜蔵ヵ
資料番号: 21.7270 MFA所蔵

作品中の署名は「寫樂画」、極印、そして蔦屋重三郎(耕書堂)の印。写楽がなぜ春英のアーカイブにヒットするのか。
でもこの役者、よく見ると春英が描く嵐竜蔵の輪郭や隈取りなどの特徴がみられる。

さて写楽の大首絵の最大の特徴といえば大きな顔にアンバランスな小さな手。そして衣装に定紋や替紋が施されて役者の見分けが付きやすい。

この作品ではいずれの紋も見当たらない。そして手の大きさ、顔や体格とアンバランスとは言えない十分な大きさがある。

ということで作品説明を見ると、春英の作品の落款部分を写楽の落款に差し替えた作品とのこと(Catalogue Raisonné Maybon, Le Theatre Japonais (1925)*)。つまり偽写楽。
MFAのタイトルは《二代目嵐竜蔵ヵ》?!「ヵ」が疑問符?

大首絵の代表絵師と言えば写楽。その名前を借りることで売上向上を狙った版元の悪巧みだろうかか。彫師によって差し替えられた署名。本来の作者である春英が気の毒だ。

<参考サイト>
勝川春英《二代目嵐竜蔵ヵ》Museum of Fine Arts, Boston *
https://bit.ly/3688opO(2021年6月12日閲覧)


国芳の「擣衣の玉川」の犬

今回は犬の話。

前前回のボストン美術館所蔵の国芳作の続き物《六玉川 摂津国擣衣の玉川》。
手元にある作品は3作の真ん中に位置するもので、両側には2作品ある。それらの作品にはそれぞれに犬が描かれている。すこし気になったので、当時の犬について少し調べてみた。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川(1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFAの六玉川の続き物を見てみよう。
右側の振り袖の娘のうしろにはまどろむような白黒のイヌ、左の反物を持つ女性のうしろにはシャキッと番犬のように座るイヌ。こちらは2色のまだらにみえなくもないが、影のように表現効果をねらったのかもしれない。どちらも現在の中型犬だろう。

江戸時代、さかのぼって五代綱吉の時代に「生類憐之令」(1687・貞享4)が出され、とりわけ犬の地位が過剰なほどに向上した。犬の戸籍に専門医、犬目付の巡検など、犬を飼うのも容易ではないと捨て犬が増えて、その収容のために野犬の犬小屋を作ったほど。1709年の綱吉の死後やっとこの法令はとかれた。
いずれにしても江戸時代は犬や猫、鳥・金魚・虫といったペットが階層を超えて広く飼われたそうだ。なかでも犬は人に寄り添う性質が強いためか、育て方のマニュアル本が出版されるなど人気のほどがうかがえる。

暁 鐘成著 1800  犬狗養畜傳
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらが『犬狗養畜傳』、マニュアル本。一般的な犬の飼い方だけではなく、愛情を持って犬に接する心得や病の際の薬に至るまで記載があるそうだ。著者の暁鐘成(アカツキ カネナリ)は大阪の浮世絵師とのことだが、浮世絵作品は未だ見ていない。犬に特化した飼育マニュアルが出版されたところを見ると、やはり犬を飼う人は多かったのだろう。

中村惕斎編 1789「犬」頭書増補訓蒙図彙大成 21巻 [2]
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは『頭書増補訓蒙図彙大成』、今で言う図鑑。右側が犬のページ。
右ページの中央が「獒*(ごう)犬」とよばれ、体高が4尺(約120cm)ほどの大きな犬のこと。おもに唐犬(輸入犬)のことだ。毛がフサフサのむく犬が「㺜**(のう)犬」、手前の一番小型犬は単に「犬」。港郷土資料館の資料によれば、この「犬」は一般犬のことだそうだ。

国芳の擣衣の玉川に描かれている座っている犬は体高がありそうなので獒犬のようだが、輸入種が庶民のペットというのは少し無理がありそうなので混合種かもしれない。

国芳作品では犬や猫がたびたび見られる。この作品のように犬の特徴を描き分けていることからも、国芳が犬に興味を持って観察していたこと、好んでいたようだ。

そして幕末も犬は人気のペット。マーケティングに余念がなかった幕末の出版業界は美人と一緒に犬や猫を描くことも販売戦略として狙ったのかもしれない。

*獒(ゴウ):①おおいぬ(おほいぬ)丈が4尺以上のいぬ。②猛犬 ③つよい犬
**㺜(ノウ):けものへんに農という字、手持ちの辞典などでは見つからずWeblioによれば「日本語ではあまり使用されない漢字」とのこと

<参考文献>
貝塚茂樹他 1982 「獒」『角川漢和中辞典』角川書店  p.699d
西山松之助他編 2004「愛玩動物」『江戸学事典』弘文堂 p.398b 

<参考サイト>
暁 鐘成著 1800 『犬狗養畜傳』国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536385
中村惕斎 編 1789「犬」『頭書増補訓蒙図彙大成』21巻[2]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556824(2021年5月20日閲覧)
「㺜」weblio漢字辞典
https://www.weblio.jp/content/㺜(2021年5月20日閲覧)
港郷土資料館 2017「江戸時代の犬と猫」『港区立港郷土資料館へ行ってみよう!第14号』
https://www.minato-rekishi.com/pdf/kids/ittemiyo-14a.pdf(2021年5月20日閲覧)

摂津の玉川いろいろ

摂津の玉川は六玉川シリーズの一つとして長年にわたって人気のある画題。

ところで、詩歌に歌枕がつかわれるように浮世絵風景画にも土地ごとに決められた風物がある。その土地特産の植物や景色(ランドマーク)、古くから和歌に詠まれた枕詞などを継承して使われていたようだ。江戸の人々は草双紙や口コミなどから情報を得てこうした浮世絵の風物を見ただけで名所を判別できたのだろう。

摂津の玉川の風物は「うのはな」と「砧打ち」。摂津の里がある大阪府高槻市のサイトによれば、「うのはな」の和名は「ウツギ」といい、「砧」は「打つ木(ウツギ)」なので「うのはな」とつながるとのこと。

浮世絵のテーマとしては「砧打ち」風景が取り上げられることが多いようだ。
今回はボストン美術館のアーカイブから「摂津国擣衣の玉川」をテーマにした作品を3作品。

1)鈴木春信作品

鈴木春信画 (1766-1767頃) 
六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」
資料番号: 50.3601 Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

親子だろうか、装いから年齢差がみられる女性二人が砧打ちをしている風景だ。ふっくらとした面差し。木槌を持たせるのは気の毒なほど華奢な手。若い娘の振り袖は帯の結び目に差し込まれて腕を動かしやすくしている。ゆったりとした着物と帯の線のながれからのぞくスッとした首筋、いかにも可憐だ。砧打ちをしていると言うよりも楽器を奏でているような、どこか浮世離れした優雅さと儚さが入り混じった空気。名所画風のタイトルですがやはり美人画におもえる。窓には源俊頼(ここでは相模)の和歌「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里」が添えられている。

2)歌川広重作品

歌川広重画 (1835–1836頃) 諸国六玉川 摂津擣衣之玉川
資料番号: 21.9959
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

広重作品は名所絵。砧打ちが摂津擣衣の玉川の風物として描かれている。ここでも女性二人が向き合って(一人は幼子をおぶって?)砧打ちの作業をしている。満月に照らされて雁が渡り、初秋の北風にススキが靡くなかの砧打ち。田舎の素朴な日常が季節感ある詩情に富んだ風景として描かれている。そしてここでも俊頼の和歌が添えられている。
そして刷り上がったばかりのような瑞々しい色彩。それもそのはず、この作品はスポルディング・コレクションの1作。実際に鑑賞するのぞみが持てないのがとても残念だ。

3)喜多川歌麿作品

喜多川歌麿画 (1804頃) 風流六玉川 摂津
資料番号: 11.1969
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

この作品は6作品の続き物。こちらの砧うちは紅葉がハラハラと散る秋の風景だ。木槌ちを担ぐ女性に布を持つ女性、そして座っている女性が砧打ちをしている。背景の川は国芳の《六玉川 摂津国擣衣の玉川》と同様に続き物6作品にまたがって一筋の川が流れる手法。ただこの「風流六玉川」では、一筋の川が6箇所の玉川すべてを意味しているらしい。
国芳の砧打ちは牧歌的情緒を感じさせる風景ですが、こちらは市井の砧打ちの雰囲気を感じる。砧打ちの女性のしどけない姿など歌麿の女性たちの艶っぽさは江戸の香りをまとっている。 作品としては、美人大首絵で一斉を風靡した1790年代の絶頂期に比べると緻密さや品格が薄れて、むしろ退廃の空気が漂う。稀代の敏腕プロデューサー蔦屋重三郎ととも独自の表現を生み出した歌麿だったが、この作品年の頃蔦重はすでに亡く、執拗な出版規制の咎に力尽つきてきた時期かもしれない。

同じテーマを取りながらも三者三様の面白みだ。

<参考サイト>

歌川広重《諸国六玉川 摂津擣衣之玉川》 Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3vCjDS7(4/29/2021閲覧)

喜多川歌麿《風流六玉川 摂津》Museum of Fine Arts, Boston 所蔵
https://bit.ly/3tcdomq(4/29/2021閲覧)

鈴木春信《六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」》Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3tbRQGm(4/29/2021閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)



六玉川のひとつ、摂津の玉川

国芳の《摂津国擣衣玉川》の内容を見ていこう。

手元の作品には作品名がない。先日お話したとおりこの作品は3枚の揃いもので、他の2作のうちの1作に題名が記されている。

こちらがボストン美術館所蔵の完全版。

並べてみると紙から紙への絵柄の連続性がよくわかる。向かって右の作品に《摂津国 擣衣の 玉川》とタイトル。摂津国は現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。擣衣(とうい)とは砧打ちのことだ。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川 (1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFA作品では女性たちの奥に鮮やかな青色のうねりがみえる。タイトル付きの作品が山に近い川上で、左に向かって川下となり川幅が広がっている。手持ちの作品(下)は川も川岸も青の濃淡で彩色されているが、MFA作品は川岸が緑色の濃淡で随分印象が違う。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

玉川の「玉」とはうつくしいという意。海外美術館収蔵作品は玉川が「Jewel River」と英語訳されている。まれに見る美しさで貴重な川というイメージだろうか。
古くから日本各地の美しい川6ヶ所を六玉川と呼んでいた。山城国井手(京都府井手町)、近江国野路(滋賀県草津市)、武蔵国調布(多摩川)、陸前国野田(宮城県塩釜市から多賀城市)、紀伊国高野(和歌山県高野山)、そして摂津国三島(大阪府高槻市)の6箇所だ。

うちの作品は見ての通り揃物の中央に置かれる作品。この女性は筵に座って作業中。砧打ちといわれるこの仕事、手に持った木槌で砧と呼ばれる木製(石の場合もある)の台に巻きつけられている布を打っている。この作業をすることで布に光沢がでて柔らかくなるのだ。子どもを背負っての作業でこの量はかなり骨が折れるだろう。左の女性は作業が終わったものを持ち去ろうとしているのか。右の振袖姿の若い女性の奥にもむしろに座って砧打ちをする二人の女性が描かれている。

高槻市の公式サイトによれば三島の玉川は「砧の玉川」ともよばれる。砧打ちは古くから女性の仕事。秋の夜長の砧打ちの音が素朴で趣があることから詩歌にも多くとりあげられた。なかでも浮世絵でよく見かけるのがこの和歌。

松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里 
源俊頼 「千戴和歌集」より

秋の夜長のしっとりした空気と物悲しさが感じられる。

<参考サイト>
「摂津国」『コトバンク』
https://kotobank.jp/word/摂津国-87376(4/27/2021 閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)

《六玉川 「摂津国檮衣の玉川」》Museum of Fine Arts Boston
https://bit.ly/2S6ruZu(4/27/2021 閲覧)

柳沢敦子 2011「「多摩」か「玉」か 六玉川へ」『朝日新聞 ことばマガジン』
https://bit.ly/2QE6g4W(4/27/2021 閲覧)

堤の夜桜の花見美人

お正月に掲載した錦絵。

豊国画 BlueIndexStudio所蔵

作品名:堤の夜桜の花見美人(つつみのよざくらのはなみびじん)
板元:馬喰町三丁目 江﨑屋辰蔵
落款・押印:香蝶楼豊国・年玉印
絵師:豊国III(国貞、自称2代目豊国)
改印:村 1843(天保14)年〜1847(弘化4)年
出版時期:1844(弘化元)年〜1847(弘化4)年

この作品はボストン美術館にも収蔵されている。おかげで3枚続きの1作とわかった。
手元の作品はそのなかでも特に満開の桜の木が多く描かれている。一方、他の作品には対岸や川に浮かぶ船、中洲もみえて、夜桜名所の隅田川堤であることが一目瞭然だ。
改印は3作とも同じなので出版時期は近いようだ。板元も同じ。ただ署名は、下の左1作だけ「国貞改二代豊国画」と記されている。

Women Viewing Cherry Blossoms at Night on the Riverbank(1843–47)
MFA: 11.15819-21

そして真ん中と手元にある右側に置かれる作品が「香蝶楼豊国画」の署名。
国貞の豊国襲名は文献上1844(弘化元)年とされている。「二代」と自称していたが実際は三代目。3枚のうち襲名をアピールする「国貞改二代豊国画」署名の作品が最初に出版された可能性は高い。そしてこの連作は豊国を襲名してまもない頃に出版されたのではないかと推測され、出版年の仮定は1843年からではなく、1844年12月から始まる弘化元年から1847(弘化4)年考えられないだろうか。

同じ板木の作品がオンライン上で見つかると、画像を拡大して版に刷られた木目を見たり色の違いを見たりといろいろな比較ができる。特に海外の美術館はコレクションをデータベース化してオンラインで閲覧できるようになっているところがかなり多い。その点ではありがたい時代になったとおもっている。


<参考文献>
石井研堂 1920「錦絵の改印の考証:一名・錦絵の発行年代推定法」伊勢辰商店
小林忠・大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂

<参考サイト>
「Women Viewing Cherry Blossoms at Night on the Riverbank(堤の夜桜の花見美人)」Museum of Fine Arts Boston(3/21/2021閲覧)
https://bit.ly/3f64VgX

国芳 vs 国貞(MFA)

美術展で実際に五感を駆使して作品にふれる経験にまさるものはない。ものによっては作品に対峙すると平面作品でも立体造形のように感覚になることもある。そして本物を直に見る経験からはいつも様々な発見があるのだ。

ところで日本の美術館や博物館では撮影禁止が一般的なようだが、欧米ではフラッシュ禁止でも通常の撮影は許可している美術館が多い。
ボストン美術館(MFA)も後者。国芳国貞ボストン展も通常撮影は可能。

Iwai Kumesaburo II as Agemaki – 二代目岩井粂三郎の揚巻

角度を傾けて撮影した展示作品
William Sturgis Bigelow Collection, 11.26730

出版年:1829 (文政12) 頃
署名:香蝶楼国貞画
摺物
William Sturgis Bigelow Collection, 11.26730

「助六所縁江戸桜」は市川団十郎家の十八番で、現代歌舞伎の中でも特に人気の高い外題だ。主人公助六は江戸の粋を体現する男前の役どころ。揚巻はそんな助六にふさわしい最高の傾城。実際の歌舞伎の場面でもその佇まいは贅を尽くした出で立ちで際立つ美しさが表現されるが、錦絵においても同様に手を変え品を変え豪奢に描かれるテーマだ。

さて揚巻の頭上に描かれた枝垂れ桜。江戸桜という外題からも桜は欠かせない。実はこの作品は3枚続きの中の1枚で他の2枚には助六と新兵衛が描かれており、たぶん歌舞伎の舞台(現代も)同様に3作品を通して上部は桜で飾られている。この桜の輪郭が空摺(エンボス)で表現されているのだ。

この空摺はカタログでも見えますが、実際に見ると一層くっきりと深く、今刷り上がったばかりのような空摺りなのだ。このようにふっくらと摺りあがっているのも、今見ても上質とわかる厚手の奉書紙が使われたためだろう。やはり特別発注として作られる摺物は使われる素材も本当に贅沢だ。



Actor Iwai Hanshiro V as Yaoya Oshichi (From the series Great Hit Plays) – 大当狂言内 八百屋お七 五代目岩井半四郎」

角度を傾けて撮影した展示作品
William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096

出版年:1814 – 15 (文化11−12) 年頃
署名:五渡亭国貞画
版元:川口屋卯兵衛
改印:極
William Sturgis Bigelow Collection, 11.15096


恋人に会いたい一心で事もあろうに放火をして火刑に処された八百屋の娘お七。江戸初期の実在の話とも言われている。この悲恋は多くの物語や戯曲となり浄瑠璃や歌舞伎でも人気を博した。五代目岩井半四郎のお七は特に当たり役となり、この作品の長襦袢でもみられる「麻の葉鹿の子」柄をお七の柄として後世にまで残した歴史に残る女形だ。江戸の若い娘らしい利発な目元が印象的だ。

さてこのお七の頭上が何やら光っている。これは胡粉が使われたためだ。カタログなどでは、鼠色っぽい塗り壁がまだらに剥げたような感じをよく見かける。実際に見ると銀色に光る胡粉がしっかり残っているのだ。

このシリーズは大人気の出し物の役者を一人づつ描いたもので、シリーズを通して胡粉が使われている。シリーズものはコレクター心をくすぐるうえに、高価な胡粉など使えば高級感が出る。普段の錦絵よりは高価な値段で特別な機会に販売されたと想像する。版元もいろいろ考えるものだ。

ちなみにこの展覧会ではもう一作、同じく国貞作の火の見櫓に登るお七も展示されている。お七は四代目市川小団次。お七の柄「麻の葉鹿の子」の振り袖姿だ。1856 (安政3) 年出版なのでここで取り上げた作品から約40年を経て作られた作品ということになる。

このように、ささやかな発見を記録できるという意味では会場での作品撮影は助かるのだ。しかし熱心な鑑賞者の邪魔にならないように速やかにアングルや近距離のピントを合わせるのは、少なくとも私にとってはなかなか容易ではない。やはり写真撮影は必要最低限十分。肉眼で見る、体感するのがオリジナルを見る醍醐味だ。

<参考文献>
MFA Boston 2017「KUNIYOSHI  x KUNISADA」MFA Publications

SHOWDOWN! Kuniyoshi vs Kunisada

渋谷Bunkamuraから約一年。待ちに待った本拠地ボストン美術館での国芳国貞展が始まった。

Museum of Fine Arts Boston メインエントランス ー 465 Huntington Avenue Boston, MA

本拠地においても大変な盛況。他国の人々が日本文化にこんなに興味を持ってもらえるとは。想像以上で誇らしいことだ。とはいえBunkamuraほど押せ押せの混雑はなく、少し順番を待てば作品前至近距離で時間をかけてゆっくり見ることができる。日本展で印象深かったタイトルやキャプションの工夫は英訳でも生かされていた。もちろん私達が時代劇で馴染みのあるべらんめえ調の江戸弁や役割語などはむりだが。

展示作品に対する印象は日本展同様、瑞々しいというか、摺りあがりを思わせる鮮明さ。距離をとって作品を見ると、170、180年の時間を経ているというよりも現代の感覚によくマッチして見える。

内容は日本展とほぼ同様のセレクトに見えた。“ほぼ”というのは、版画の特性とMFA特有のルールのせいだ。ビゲロー (William Sturgis Bigelow) コレクションは作品数も膨大で同じ版木で摺られた作品が複数存在している。そのため厳密にはMFA独自の作品ごとにつけられたコレクションIDが一致して、初めて同一作品と言える。タイトルが同じでも両国でID画一致した同一作品を展示したかどうかはまだ確認できていない。

日本では渋谷に続いて神戸、そして名古屋ボストン美術館でも巡回開催された。通算の展示期間に移動などを含めると、作品たちは一年近く心地よい家を離れていたと考えられる。国を跨いだ2つの展覧会のあいだにはざっくり計算して約半年のあいだがあったと想定できる。ビゲローコレクションの錦絵展示後のルールが、どれくらいの期間の休憩を定めているのか、たびたび気になりながらもまだ確たる情報がない。今回ももしかすれば同じタイトルながらIDちがいなどと言うこともあるのかもしれない。

ところで会場では、MFA日本美術キュレーターのセーラ・トンプソン(Sarah E. Thompson)氏をお見かけした。ジャーナリストによる取材のようだったが、それが始まる前には作品前に置かれた長椅子に腰掛けて満足そうにゆったりと作品を見回しておられた。遠くからも作品に対する深い愛情が感じられた。