クールベのタチアオイ

ボストン美術館の中央玄関から入ってまっすぐ進むと両面ガラス張りの総合案内がある。入館者が情報を得たり、待ち合わせやソファで一休みするといった場所だ。人の動きやガラスの反射で気づきにくいのだが、そこの壁面にも絵画が展示されているのだ。

その中の一作に、グスタフ・クールベ (Gustave Courbet, 1817- 1877)の《銅鉢のタチアオイ》がある。

Gustave Courbet Hollyhocks in a Copper Bowl, 1872
MFA: 48.530

不透明な色使いと大きな筆触が花びらに重量を与えて造花のようにみえる。それに何の花か。

タイトルによれば描かれているのはタチアオイ。ひとの身長ほどに高くまっすぐ伸びた茎のまわりにハイビスカスに似た色鮮やかな花をたくさんつける植物だ。夏の田園風景によく見かけるが、個人的には花の美しさよりも、その毛羽だった強そうな茎の直立した様子が印象にのこっている。

ここではそのタチアオイ特有の立ち姿は描かれていない。短く切って活けた花は、それぞれにどこか寂しげだ。

MFAによれば、この作品はクールベが投獄されていた時期に花から描き始め、その後銅製の花器を描き加えたようだ。

1871年パリ・コミューンに参加しヴァンドーム広場のコラム(記念柱)を引き倒す動きを先導したことでクールベが収監された。その間、妹に画材や花、書籍などを差し入れてもらい獄中で描いていたという。

ロマン主義やアカデミズムとは相容れず、写実主義もって我が道を貫いたクールベ。実家の経済力も手伝ってか当時主流だった公募展に反して個展を開いたり、有力者からの依頼を断るなど、その大胆な言動はよく知られていたようだ。パリ・コミューンのコラム事件では、収監のうえにコラム損壊の賠償ももとめられ、釈放後スイスに亡命して1877年に亡くなった。

嘗てパリ一番の横柄な男、暴れん坊と浮名を流した怖いものなしのクールベだったが、その影は見えない作品だ。収監に至ってはそれまでのような自由奔放は許されず、生まれて初めて生きる厳しさを感じていたのかもしれない。

花は開いて朽ちてはいない。が、生死がわからないまま闇の中に吸い込まれていくようだ。

1872年といえばクロード・モネの《印象・日の出》が発表され、「印象派・印象主義」誕生の年でもある。写実主義の先導者としてレアリズムを追求しながら力強い筆触分割をみせて印象主義の誕生にも影響を与えたことはこの作品からも見て取れる。

パリから遠く離れた失意のクールベは、この印象派の幕開けを知っていたのだろうか。

参考サイト
Gustave Courbet 《Hollyhocks in a Copper Bowl》(1872)
https://collections.mfa.org/objects/33259/hollyhocks-in-a-copper-bowl?ctx=f4c904ee-ba09-4769-88c7-38755b55db80&idx=0