デビッド・ホックニー展

10月の東京、清澄白河の東京都現代美術館でDavid Hockney展が行われていた。
ホックニーは現役で多作なアーティストなので個々の作品を見かける機会はたびたびあるが、今回初めて活動初期の作品から近作までほぼ時系列で見ることができた。

デビッド・ホックニー展 会場ロビー 東京都現代美術館

まず、以前から好きな《 スプリンクラー 》(1967)。草木を愛するイギリス人のホックニーが、移住先のカリフォルニアで見た人工的に生かされる自然の風景を描いたもの。霧状の水を噴き上げるスプリンクラーをみると未だにアラジンの魔法のランプを思い出す。平屋建てでみずみずしい芝生が見える大きな一枚ガラスの窓の家。芝にまかれた水は乾燥と高温ですぐさま蒸発…10代の夏サンフランシスコ郊外で見かけた風景が蘇る。水とホースの曲線以外は直線ばかり。吹き上がる水の心許ない線が非現実的でリアルだ。
建物は少しだけエドワード・ホッパーを思い出させる。水と言えば《リトグラフの水》(1978−80)の連作も面白い。

パブロ・ピカソに捧げられた作品も多かった。ピカソ作品の多彩さにホックニーの求めた自由を見いだしたのだろうか。ピカソの感覚をたどるように描きながら、洞察し、共感し、同調してインスピレーションを得た作品が多く展示されていた。自らを画学生やモデルとしてピカソと対峙させる。その存在を鑑としているのか。ピカソに対する強い敬愛や親近感、対話欲求も鮮明に描かれ、さながらピカソ作品への返歌のようだ。そうした憧れからか、ピカソが晩年信頼した刷師にホックニーもたどり着いている。

近年のホックニーと言えば、ポートレートを見かけることが多かった。70年代のダブル・ポートレート、特に《クラーク夫妻とパーシー》や《両親》は印象強く今回も楽しみにしてきた。ファッショナブルでクールなクラーク夫妻がどこかクラシックな香りのするモダン演出で描かれている印象を持っていた。だが今回はふたりの関係性が前面に出ているような印象が加わった。ホックニーの両親は、どうしても中心に据えられた鑑がヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻の肖像》が浮かんで、そちらに目が行ってしまう。しかし鏡の中、上部に描かれているのはピエロ・デッラ・フランチェスカのキリストの洗礼のようだ。なぜ洗礼?下の緑色のカーテンもルネッサンス作品のどこかで見たような気がする。なぜここに鑑があり、そこに写っているのは遠い15世紀あたりの絵画なのか。
最近のポートレートはリトグラフが多いようだ。そしてこの美術館はリトグラフ作品を多く所蔵している。

この展覧会では風景画も多く展示されているが、そのほとんどが巨大画面である。
壁一面を覆う《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》は32枚のカンヴァスに油彩で描かれたもので総面積は365.6 x 975.2cm。一作品にこれほど多くのカンヴァスを使っているのを初めて見た。しかしこの後50枚継ぎの油彩を見ることになるのだが。

《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》(2011) *撮影許可あり

木立の中心にある小道のフクシャっぽい色が作品後ろの壁面にも塗られ、その色がフローリングにも映っている。鑑賞者を森に誘っているようだ。実際、この日は小学生の団体が見学に来ていたが、帽子をかぶって活発に動く姿と相まって、そこが遠足の風景のように感じられた。

《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》(2011)

鮮やかな配色と平面的な彩色で一見ナイーヴな筆致が、なおさらに春の到来の喜びを感じさせる。自然のサイクルの中で伸びやかに生き生きと枝葉を広げる草木。人も森も自然の恩恵なしには生きられないのだ。
ホックニーの風景画は、鑑賞者をその中に招き入れてくれる。多くの風景画では鑑賞者は絵画の外に置かれて、その風景との関係性で思い入れの有無はあっても、決められた視点にいることを強いられている気がする。制作者が鑑賞者の存在を考えないからかもしれない。ホックニーは鑑賞者を意識して創作している気がする。

ホックニーは風景画を手がける中で遠近法についても独自の方法を探った。東洋の絵巻などの研究によって得た手法を用い、視点を固定せず複数方向からの視点を画面上に構成している。私たちには馴染みがあるが、西洋の伝統的な技法ではたしかに視点は固定されている。新たな手法に至る過程ではピカソのキュビズム作品なども影響したようだ。80年代のホテル・アカトランシリーズでは逆遠近法の試みをハッキリと見ることができる。
そしてCovid19のロックダウン中に描いた作品が《ノルマンディーの12ヶ月 2020-2021年》。複数のiPadで制作されプリントされたという100x9000 cmの巨大絵巻だ。こうなると鑑賞者もノルマンディーの12ヶ月を散策することになる。

ホックニーの長い作品歴を辿ると様々な技法を活用していることがわかる。特に社会全体がデジタル化された近年はiPadの発表と共に支持体として迎え、作品をアニメーション化したりインクジェットプリントしたりしている。尽きない好奇心と実行力は常に現代アートの最前線を生き抜くアーティストたるゆえんだろう。図らずもポップアート作家に括られてしまうのは、カラフルな彩色(ブリティッシュのDNAか)や一見親しみやすい表現の他に、時代のハイテクをためらわず取り入れる身軽さのせいもあるのかもしれない。

世界中が鬱々と過ごした時期を共に経験し寄り添ったホックニーが春の訪れを告げにやって展覧会。理屈抜きで楽しかった。そう思えるのは作品の特徴を生かしながら観客の側に立った展示方法がとられていたからだろう。大きな作品は観客を抱擁する魅力がある。それも含め、それぞれの作品との距離感も心地よく、散歩がてらの鑑賞という気軽さが多くの観客が集めたのだろう。

ちなみに冒頭に展示されているエッチングとアクアティントで水仙を描いた《花瓶と花》。できることなら人生を共にしたいとずっと思い続けている。