ヤン・ファン・エイク風の水浴画

今回の作品は《Woman at Her Toilet》
ハーバード/フォッグ美術館2階、13−17世紀ヨーロピアンアートの展示室で観ることができる。

Woman at Her Toilet(16c初期)

一瞬にヤン・ファン・エイクの《アルノルフィーニ夫妻の肖像》を思い出した。もちろん細密画の頂点にいたヤン・ファン・エイクのそれとは全く異なる。
それでも興味を引かれた。

正面奥に消失点をとる部屋の幅と奥行きが『アルノルフィーニ夫妻の肖像』の部屋によく似た印象を与える。窓の位置や大きさ、女性たちの立ち位置、画面左手前にサンダルが一足あるのも似ている。室内は簡素。天井高の窓からの外光をうける2人は、窓枠にかけられた凸面鏡に写っている。裸の女性は凸面鏡の下に置かれた水を張った洗面器に右手を伸ばしている。手に握られているものを水で濡らして体を拭いていたのかもしれない。隣の着衣の女性は彼女に仕えるメイドのよう。手には球状のものが握られている。凸面鏡の下、出窓の床板にも同じようなもの球状のものが見える。そういえば《アルノルフィーニ夫妻の肖像》でも窓の下に数個のオレンジが置かれている。女性たちのプロポーションや衣装、部屋の雰囲気もフランドル派の特徴がみられる。

Portrait of Giovanni(?) Arnolfini and his Wife(1434)
National Gallery, LondonNG186)

作品に添えられたキャプションをたどってみよう。
タイトルは《Woman at Her Toilet》。トイレットは用を足す場所のイメージが強いが、バスルーム、洗面所、化粧室を兼ね備えた身支度をする場所、または少し古い言い方では身支度そのものも意味する。今回の作品の場面の女性は裸なので水浴の場面だろう。
画家名は未確認。生没年の欄に「フランドル派 c. 1390-1441」と、ヤン・ファン・エイクの生没年代(といわれる)が記載され、制作年は16世紀初頭とある。そして、ヤン・ファン・エイクの時代に水浴の場面がよく描かれとのこと。作品はその時代の作品を元に、16世紀初頭にコピーされたものだそう。寓意や道徳的な意味あいで制作され、識者の見解としてバテシバやイヴ、ヴィーナスのほか、ルクスリアやヴァニタスなどが描かれた可能性が指摘されている。

バテシバは旧約聖書サムエル記に登場する女性でまさに水浴中にダヴィデ王に見初められ、後に彼の妻となった。ヴァニタス(空虚)は旧約聖書の伝道の書(コヘレトの言葉)で語られるもので、メント・モリ(死を覚えよ)やホラティウスのカルペ・ディエム(その日を摘め)とともにたびたび画題とされる。骸骨・若者(若い女性も)・砂時計・切り花や果実など朽ちていく命に限りがあるものが描かれる。ちなみに伝道の書はダヴィデ王とバテシバの子ソロモン王(コヘレト)の著書といわれている。ルクスリア(性欲)は7つの大罪の一つ。そして創世記のイヴは誘惑や罪、ローマ神話のヴィーナス(ギリシャ神話のアフロディーテ)は愛と豊穣の女神などは最もポピュラーな画題といえる。

女性のヌードは古代ギリシャの時代から西洋芸術の主題として非常に多くの作品が残されている。ただどのような女性でも主題にできたわけではなく、寓意や道徳、宗教の教えを表現するという目的で、神話の女神や旧約聖書で語られるバテシバ、イヴ、ヴィーナスなどの女性像が使われてきた。神話や宗教、歴史など過去の出来事に主題を見いだす古典主義の時代は長く続き、そうした伝統的な絵画作法から解放されるのは、1800年頃に制作されたゴヤ作《裸のマハ》あたりからだろう。

さて14世紀終わりから15世紀半ばのフランドル派に由来するこの作品。この絵は何を表現しているのか。キャプションで述べられているようにとても謎めいた魅力がある。
メイドの持つ球体も気になります。アルノルフィーニ夫妻の富を象徴するオレンジに変わるものかもしれない。ちょうどリンゴくらいの大きさで真鍮色のような感じに見える。窓際の球体にはヘタがついているようにも見える。もし青リンゴだとしたら原罪でイヴも考えられる。アフロディーテの黄金の林檎(不和の林檎)の可能性は球体が2個という点で違う気がする。脱ぎ捨てた一足のサンダル。アルノルフィーニ夫妻は神聖な誓いの場として神の前でサンダルを脱いだ(出エジプト記3−5)と想像するが、この女性の場合はどうだろう。
画像で見ると部屋の奥の家具に何か置かれている。凸面鏡に写る2人の女性もはっきりしない。

謎めいている。

<参考サイト>
《Woman at Her Toilet》Harverd/Fogg Art Museum
https://harvardartmuseums.org/collections/object/227899?position=1

Jan van Eyck 1434《The Arnolfini Portrait》National Gallery, London
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/jan-van-eyck-the-arnolfini-portrait

旧約聖書 サムエル記下11
https://www.bible.com/ja/bible/1819/2SA.11.新共同訳
旧約聖書 コヘレトの言葉1
https://www.bible.com/ja/bible/1819/ECC.1.新共同訳
旧約聖書 出エジプト記3
https://www.bible.com/ja/bible/1819/EXO.3.新共同訳