ピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト生誕》2/2

ロンドンのナショナル・ギャラリー(以下NGL)の修復家による3年の作業を終えて公開された作品。修復したて特有のニートな印象に加えて、乳白色の釉薬でコーティングされているような、修復前に比べて絵画の精気が抑制されたというか、画面がフリーズしているような感じ。

The Nativity (early 1480s ) 修復後 
National Gallery, London(NG908)

多くの修復工程の中でとりわけNGLが熱狂を持って発表したのは「聖なる光の存在」。
朽ちかけた厩の屋根に一部草が生えているように見える部分がある。その下には腕を上げる羊飼い。そのちょうど頭の上の石積みの壁がぼんやりと白っぽく見える。キリストの生誕を告げる聖なる光が、屋根の穴を通って壁を照らしたために白くなったとのこと。羊飼いは光を指さし、ロバも光を見上げて嘶くように描かれている。

このことは作品の未完説にも関連している。人物に影がないことで未完と考える根拠とする専門家もいるからだ。NGLはピエロが聖なる光の存在を際立たせるために意図的に影をつけなかったという解釈をとり、この作品を完成作と結論づけた。

The Nativity(修復前・部分)
Maurizio Calvesi 1998「Piero della Francesca」

さて次は2人の羊飼い。
修復前に最もダメージを受けていたのが2人の頭部だった。右の図は修復前のもので確かに損傷は明らかだがデザインは残っているように見える。これを元に今回の修復では頭部がはっきり描かれている。赤褐色の肌の色については、羊飼いは戸外の労働による日焼け、そして白い肌の聖なる人々(聖母子や天使)とのちがいを表すためという見方もある。修復に関しては、ピエロのデザインをたどって細心の注意を払いながら作業したことを修復家自身が語った動画も公開されている。
たしかにこの2人は修復後の画面の中で特に異彩を放っている。他の部分と比較してスフマートがあまり使われず平面的にもみえる。

修復後に話題の中心となったのはまさにこの羊飼い。イギリスのThe Guardian誌は、2012年にスペイン・ボルハで起きた素人の修復により損害を受けた《この人を見よ》を引き合いに出し、今回の修復に対し辛辣な批判繰り広げた。挑発的な内容が興味をひいたのか、その直後からこの記事を引用した記事が多く出回った。

ソーシャルメディアのNGLへのコメントを見ると、一般の修復への評価は一様ではない。批判記事に同意する人もいれば、素晴らしい修復と称賛する声もある。

ところで現在のヨーロッパの修復法は、作家が完成したであろうところまで戻すことを第一義として、もし加筆が加えられる場合は修復で加筆したとわかるように行うという決まりがある。例えば、ダ・ヴィンチ作と取り沙汰されながら未だ謎に包まれたままの《サルバトール・ムンディ》も損傷が激しい作品がアメリカの著名修復家ダイアン・モデスティーニによる古さを感じないほどの加筆によって、どこまでがオリジナルかわかりにくい状態になった。そして高額売買後の真偽不詳のまま今や公開されてすらいない。

修復法やそれを踏まえた修復家の加筆の裁量は素人にはわからない部分。
羊飼いの話題に戻すと、修復によってより平面的に塗ったという印象の顔など、コンピュータの画面上で見ているだけの私だが、正直違和感はある。最初に述べたように作品全体の印象が変わったという点は、クリーニング後というレヴェルのことなのか私にはわからない。そしてこの作品が本当に完成作か否かという疑問もやはり拭えない。今回の修復が修復家の仕事として最大限正しかったのかもしれない。修復家の考える修復と私を含めた一般の人々の期待するそれは同じではないだろう。修復はその役割の性質上、必ずしも鑑賞者の想像通りには仕上がらないということを私たちは留意しなければいけない。

この修復への賛否をいえるほどの材料を私自身持ち合わせない。ただ、修復という仕事は、芸術作品を可能な限り長く後世まで伝えられるよう手助けするということだろうと理解している。つまり作家に成り代わることが仕事ではない。たとえどれほど深い研究と考察のうえにどんなに高度な技術でオリジナルデザインをたどっても、それを制作した人間が表現した魂まで再現することは誰にもできないのだから。

<参考文献>
Maurizio Calvesi 1998「Piero della Francesca」Rizzoli International Publications,In

<参考サイト>
Piero della Francesca 《Nativity》National Gallery, London
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/piero-della-francesca-the-nativity

Jonathan Jones
https://www.theguardian.com/artanddesign/2022/dec/17/national-gallery-botched-restoration-nativity

ピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト生誕》1/2

2022年12月ロンドンのナショナル・ギャラリー(以下NGL)で、修復を終えたピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト生誕》が再公開された。現在、世界中の美術ファンの注目を浴びている。この注目の原因を探る前に、今回はこの作品のNGLに至る来歴を確認してみよう。

最初に作品の概略。テーマはキリスト誕生の場面、幼子キリストと聖母マリアと夫のヨゼフ、音楽を奏でる天使、羊飼いに牛とロバという、伝統的な降誕の様式に則ったものだ。背景には画家の出身地サンセポルクロの風景が描かれた。

The Nativity (1470–75) Piero della Francesca(修復前)
National Gallery, London 所蔵 *Wikipediaより

ピエロ・デッラ・フランチェスカはルネッサンス期1400年代のイタリア・トスカーナ出身の画家。生没年に諸説あるが、NGLのサイトでは 「about 1415/20 – 1492」と記載されている。

この作品の制作年もまた、多くの仮説がある。最も古い制作年として1470年、あたらしいものでは1480年代と、10年以上のばらつきがある。
左はWikipediaから引用した画像(修復前)でキャプションの制作年は「1470-75」となっている。今回は画像と一緒にその通り使用した。
NGLの現在のキャプションでは 「1480年代初期」と表記されている。
作品はピエロの地元サンセポルクロで描かれ没後も地元の親族宅にあった。1500年代の画家・美術史家のジョルジョ・ヴァザーリは実際にそこを訪問して作品を確認した記録が残っている。

この作品に動きが見えるのは制作から約300年を経過した1826年。相続人の一人であるジュゼッペ・マリーニ・フランチェスキが、この作品をフィレンツェのウフィッツィに売買のために預けている。NGLも「1825年まで地元の親族宅に作品があった」とするところからも、マリーニ・フランチェスキが初めてこの作品を移動させたと思われる。

1826年にはマリーニ・フランチェスキがウフィッツィのディレクター宛てに 「作品が経年劣化とそれまでの相続人の粗雑な扱いのために相当のダメージを受けている」という内容の書簡を送っている。ダメージのなかには加筆や蝋燭のあともあったとする研究者もいる。売り出す前提でウフィツィに預けたことからも、ウフィッツィにクリーニングも依頼した可能性も指摘されている。

このようにダメージのほかに欠損も目立つこの作品は「そもそも未完成作説」と、1800年代の強烈な「クリーニングによってダメージを受けた完成作」という説が存在する。

実際このクリーニング作業がウフィッツィ(フィレンツェ)で行われたとすれば、ルネッサンス期の作品に最も経験がある地で行われたということになる。それでもなお、クリーニングによる二次被害を被ったとなると、作品解釈、技術、薬品などいずれをとってもいつの時代においても修復という仕事は相当に難しいものなのだろう。

こうした作品の本質に関わる問題がありながらも1861年、この作品がNGLの初代館長の目にとまる。しかしこの時点では他のコレクターが購入しイギリスに持ち込んで修復する。1874年に晴れてNGLが購入したあと、1884年に同館としての最初の修復を行う。このあと1949ー1950年にも修復が行われ、3度目となった今回の修復を終えたNGLは、この作品が完成作品であると発表した。

次回はこの作品の修復後を見ながら話題の原因を探ってみる。

<参考文献>
Maurizio Calvesi 1998「Piero della Francesca」Rizzoli International Publications,In

<参考サイト>
Piero della Francesca《The Nativity》
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Nativity_(Piero_della_Francesca)
(画像, 2022/12/20閲覧)