ベルト・モリゾ

ベルト・モリゾといえばエドゥアール・マネが彼女をモデルに描いた《すみれの花束をつけたベルト・モリゾ》(1873)で知られる。しかしモリゾ自身も印象派の画家であり、近年はジャポニスムに影響を受けた画家の一人として研究が進んでいる。

さて、ベルト・モリゾの《髪を結ぶ少女》。モリゾは日常的な風景や家族間の親密な場面を捉えることが得意だった。この作品も、そんなモリゾの家庭的で穏やかな視線が感じられる。どこを見るともない少女の眼差し。慣れた手つき。彼女の意識は指先は集中しているようだ。

この作品は2017年に東京国立西洋美術館で開催された「北斎とジャポニスム展」において、北斎の『絵本庭訓往来』とともに取り上げられた。

Young Girl braiding her Hair(ca1893) Berthe Morisot
Ny Carlsberg Glyptotek, Danmark

次は北斎の『絵本庭訓往来』。モリゾの《髪を結ぶ少女》に影響を与えた作品とされる。
3人の女性が歯を磨いたり、体を拭き清めたり、髪を櫛で整えたりという女性の身繕いの様子が描かれている。『絵本庭訓往来』は初等教育のための今で言えばテキスト、衛生に関する基本的な習慣を取り上げているのだろう。

絵本庭訓往来 初編(1828)北斎 永楽屋東四郎版
ARC古典籍ポータルデータベース:#Ebi0912

この絵本、日常に観察眼を向けていたモリゾにとっては親しみが持てるテーマで、インスピレーションを掻き立てそうな風景だ。とはいえ、絵本庭訓往来の北斎もモリゾも、どこの国でも見られそうな普遍的な生活の場面を題材として扱ったわけで、この点だけをとって北斎作品からのインスピレーションによるモリゾ作品というのは少し性急な気がしなくもない。

ここで「北斎とジャポニスム展」から離れて、こちらはモリゾの同時期の作品《麦わら帽子の少女》。

Julie Manet with a straw hat*(1892)
www.wikiart.org

伏し目がちに座る麦わら帽子の少女。その右肩上の画中画が眼をひく。2人の人物。2人は水面に浮かぶ小舟の上に立っているように見える。前方の1人は胸元をV字に整えた青色の丈の長い衣装を身につけ、ウエストあたりを同系色の帯のようなもので止めている。印象派特有の筆触がよくみえるタッチでも東洋の雰囲気は見逃せない。そして浮世絵の夏の風物詩、隅田川の船遊び思い出す。青い衣装の人物が、上半身を捻りながら向きを変えているようなポーズもいかにも浮世絵風にみえるのだ。

この画中画に関しては現在のところ、2つの浮世絵版画の影響の可能性が指摘されている。
1作目は、鳥居清長の3枚続き《真崎の渡し舟(隅田川の渡し舟)》のうちの真ん中の作品で、女性2人と舳先が描かれた一枚。

A Ferry on the Sumida River 真崎の渡し舟(1787)鳥居清長
MFA Accession Number: 11.13875, 11.13902, 57.585

もう1作が日本では《大川端夕涼》と呼ばれる下の作品。同じタイトルで清長作もあるのだが、こちらは喜多川歌麿の作品。この場合もやはり真ん中の一枚がモリゾとの関わりを指摘されている。

Enjoying the Evening Cool Along the Sumida River( c. 1797–98)Kitagawa Utamaro
The Cleveland Museum of Art, The Fanny Tewksbury King Collection 1956.753

モリゾの画中画は2人とも船上の立ち姿。しかし清長の渡し舟の方は1人は舟に座っている。一方この歌麿作の方は2人とも立ち姿でしかも川縁を歩いているようだ。さらに、中心の女性は子供の手を引いているから登場人物が一人多い。しかし2人の女性の身体の向きがモリゾのそれとよく似ている。強いて言えば着物の色も、モリゾ作の後方の女性の着物が歌麿作の右側の女性の(経年褪色の可能性はあるが)それに近いようにもみえる。

モリゾ画中画で前に立つ女性に関しては、3作品いずれの女性も、体の向く方向に対して顔は反対側を向いている。この点は3作品に共通で美人画によく見られるポーズだ。
清長の女性など少し腰を屈めながらもやはり体と顔の方向は異なってる。歌麿作の女性は、肩を後ろにひいた反動で少し胸部を張った姿勢に上半身のひねりが加わった反り身と言われるポーズが見られる。これは歌麿女性の特徴と言われる。この点はモリゾ作の青い衣装の女性もよく似て見える。

モリゾは実際にいくつか浮世絵を所有しており、それらは歌麿や清長など美人画であったようだ。当時フランスで日本美術商として知られたジークフリート・ビングが1888年『芸術の日本』という月刊誌の刊行を始めた。そのなかには当時としては高品質印刷の図版も添付されていた。《 真崎の渡し舟》や《大川端夕涼》の3枚続きのうちの左から2枚も添付されていて、モリゾが所有していたと言われる。そして1890年にビングがフランスの国立美術学校で日本版画展を主催した際もモリゾは訪れており、清長の同作品はこの版画展に出品されカタログにも掲載されていた。モリゾはこうした経験から色彩版画にも興味を持ち自らも制作を試みた。

さて《髪を結ぶ少女》に戻ろう。
一心に髪を整える少女の右最上部、開かれた扇がさりげなく描かれている。青の濃淡と竹生のような要や骨の配色から日本の扇の雰囲気が漂う。そして少女の後ろは左約3/4をブラウン系の壁紙のような背景で占めているが、それを縦割りにした1/4の細長いスペースは薄い白っぽい黄土色(砥粉色)が使われている。
そして、《麦わら帽子の少女》においても少女の背景の分割も気になるところだ。

さて、ここまで2つのモリゾ作品と3つの浮世絵を見てきた。
浮世絵のような画中画や扇は、西洋的風景の中にアクセントとして添えられたモリゾの日本趣味とも言える。しかし《髪を結ぶ少女》の縦割りのスペース、《麦わら帽子の少女》の画面分割からは、西洋絵画に日本絵画の画面構成や色使いなど技術的要素を取り入れようとするモリゾの試みが見受けられる。縦長の面は引き伸ばされれば線となり、線の仕事を知らしめた浮世絵にたどり着く。ジャポニスムを研究し実践を試みるなかでモリゾは西洋絵画と異なる「線」の効果を見いだしたのだろう

ベルト・モリゾの作品もジャポニスムの影響を受けた画家として、今後さらに多くの研究が進み、取り上げられると想像している。

*この作品をネット検索すると同一画像の多くが《麦わら帽子のジュリー・マネ》というタイトルになっている。ジュリー・マネとはベルト・モリゾとウジェーヌ・マネ(絵も描いた、エドゥアール・マネの弟)の一人娘。ジュリー・マネについては、母モリゾはじめ多くの印象派画家の肖像画が残されており、それらに見られる彼女の特徴はこの少女とは異なっている。吉田典子氏もこの作品はプロのモデルを使っていることにも言及している。

参考資料
《Young Girl braiding her Hair》Ny Carlsberg Glyptotek(ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館)https://www.kulturarv.dk/kid/VisVaerk.do?vaerkId=105137
(2022年11月29日閲覧)

《A Ferry on the Sumida River 真崎の渡し舟》Museum of Fine Art Boston
https://collections.mfa.org/objects/682351/a-ferry-on-the-sumida-river?ctx=c143ecdc-69d6-4114-b5d0-5d01d8aaa6ce&idx=15
(2022年11月30日閲覧)

《Julie Manet with a straw hat》(1892)
https://www.wikiart.org/en/berthe-morisot/julie-manet-with-a-straw-hat-1892
(2022年11月25日閲覧)

『Enjoying the Evening Cool Along the Sumida River』 c. 1797–98
The Cleveland Museum of Art, The Fanny Tewksbury King Collection 1956.753

国立西洋美術館 2017「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」読売新聞東京本社

吉田, 典子 2014「ベルト・モリゾと日本美術(2):麦わら帽子の少女における浮世絵の画中画について」『Stella』33, pp.213-236.  Société de Langue et Littérature Françaises de l’Université du Kyushu

ターナーの「印象」

ボストン美術館(MFA)で、同館所蔵のターナー作品として唯一公開されているのが《奴隷船》(2022年12月現在)だ。

Slave Ship(1840) Joseph Mallord William Turner
MFA Accession# 99.22

光と色の混合に燃えるような筆致。それらが醸し出す靄のかかった画面は遠くからでも一目でターナーの作品とわかる。左右に異なる表情を見せる空と前面に盛んに荒れ狂う海の境目は、黄色と赤褐色の燃え立つ炎と沈みゆく太陽の交わりが劇的な風景を描き出している。そんな激動する水面に、夕方の日差しに染まる難破船が頼りなげに漂っています。手前には、波に抗する魚の群れと海に放り出された奴隷たち。自然の猛威の前では人間の力など及びようもない。

この作品は、海難事故の保険金目当てに船上の病人や死人を海に放り出したイギリス船の実話を元にした18世紀の詩にインスピレーションを得て描かれたそうだ。1840年にロイヤルアカデミーで公開され、その際にはターナーの未完成で未公開の「Fallacies of Hope(偽りの希望)」(1812)という詩も添えられていた。

ところで、ターナーは1818年にイタリア旅行の機会を得る。多くの特に北ヨーロッパの芸術家が経験するイタリアの光の洗礼をターナーも受けたのだろう。つまり、この旅を契機に彼の画面の明度が高まった。そしてこのころから、モチーフは具象というよりもターナーが受けた「印象」のままに描かれていくのだ。1838年にはイギリス国民が愛してやまない絵画《戦艦テメレール号》、1840年の《奴隷船》、そして3年後の1843年にはゲーテの理論を表現した『光と色』が発表されている。フランス印象派の始まりとされるモネの《印象・日の出》(1872)からは約30年先をいった印象表現が行われていたのだ。

この作品の来歴について少し。
1843年ターナーの代人からの最初の購入者はジョン・ジェームス・ラスキンといい、息子ジョン・ラスキンのために購入した。ジョン・ラスキンは美術評論家として、コレクターとして、さらにラファエル前派の擁護者として、ヴィクトリア期のイギリス芸術には頻出する人物。ジョン自身若い頃からターナーとの交流があった。そしてこの作品を、ターナーを不朽たらしめる一作と評している。

1869年ラスキンは本作品《奴隷船》をロンドンで売却することに失敗し、1872年にニューヨークでアメリカ人に売却する。その後も数回のアメリカ国内での売買をへて1899年ボストン美術館が購入し現在に至っている。

ところでMFAではもう一作、個人蔵のターナー作品が展示されている。

左 Ancient Italy(about 1838) 個人蔵
右 Slave Ship(1840)MFA所蔵

この2点、制作年に数年の差があるが画面構成がとてもよく似ている。《Ancient Italy》はローマ帝国に思いをはせた詩にちなんだ作品とのことで、手前に描かれた水揚げした戦利品らしきものや武装した人々が非武装の男を移動させている様子などに戦いの時代が垣間見られる。一方で強い光が作り出した靄のベールに包まれた美しい都市景観や、船着き場に座って肩を寄せ合う女性たちの存在のせいか、どこか穏やかな時間の流れも感じられる作品だ。

<参考サイト>
Joseph Mallord William Turner《Slave Ship (Slavers Throwing Overboard the Dead and Dying, Typhoon Coming On)》ボストン美術館
https://collections.mfa.org/objects/31102/slave-ship-slavers-throwing-overboard-the-dead-and-dying-t?ctx=b4e1dd76-f897-4ade-95aa-51a6d85b4e20&idx=0