初演「恋衣雁金染」

今回は清水清玄とさくら姫が登場する歌舞伎恋衣雁金染」のおさらい。

前回の作品概要で歌舞伎上演年はわかっているので、立命館大学の番付ポータルDB (ARC)にお世話になる。国立音大図書館所蔵の絵本番付を参考資料として閲覧した。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

絵本の表紙の中心部、外題の1行目の少し大きめに書かれたほうが「恋衣雁金染」。そして左手には「河原崎座」。そのまえに書かれているのはたぶん左流和可、可のくずしの一画目の点がないので「の」にみえてしまうが、猿若町と言いたいのではないかと思う。そして宝尽くしの文様が施されて新春気分が満載だ。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

三役がわかりやすく描かれている場面が左頁下に見られる。中心の着物には三枡紋。三枡紋といえば団十郎。この役者が清玄を演ずる市川団十郎。隣の男が嵐璃寛演ずる淀平。反対側振り袖の娘が桜姫、岩井粂三郎と理解できる。

国立音楽大学図書館所蔵 
ARC番付ポータルDB管理#:kunTK64-1065

こちらは最後のページ。狂言作者の欄には河竹新七とある。そして左側の枠には「嘉永5年子正月13日ヨリ」とあり、公演の始まりが告知されている。

ちなみにこの三人の役者を「嘉永5年1852年」時点で調べたところ、八代目市川団十郎、三代目嵐璃寛、三代目岩井粂三郎(のちの八代目岩井半四郎)ということになる。

河竹新七作「恋衣雁金染」はこれが初演だった。残念なことに現在の歌舞伎演目には見られない。清玄とさくら姫の物語は歌舞伎や浄瑠璃の外題として、これ以前にも数多く書かれているようだ。

<参考サイト>
絵本番付「恋衣雁金染」立命館大学アートリサーチセンター(ARC) 提供
https://www.dh-jac.net/db1/ban/results1280.php?f1=kunTK64-1065&f46=1&-sortField1=f8&-max=1&enter=portal&lang=ja (2021年8月21日閲覧)

「嵐璃寛」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
https://bit.ly/2UQZgnr (2021年8月21日閲覧)
服部幸雄「市川団十郎」『コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)』
https://bit.ly/2URrIFN (2021年8月21日閲覧)
「岩井半四郎」『コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
https://bit.ly/3gBYouy (2021年8月21日閲覧)

清水清玄 その2

前回ふれた清水清玄が登場する豊国作品の概要。

役者絵と言うことはわかるが演目は検討がつかなかったので、主役であろう2名の名前「清水清玄とさくら姫」で検索。ボストン美術館(MFA)にも所蔵作品があることがわかった。これは幸運。MFAはキャプションが充実しているだけでなく画像が高画質なので拡大にも耐えられ、版木の木目まで照らし合わせることができるからだ。

ということで、以下MFAの作品説明を参考にしながらまとめた概要。

左:一陽齋豊国画(さくら姫)右: 香蝶楼豊国画(清水清玄,下部淀平)
BlueIndexStudio所蔵

作品:「清水清玄」「下部淀平」「さくら姫」
絵師:歌川豊国三代(国貞)
版元:加賀安(加賀屋安兵衛;浅草福井町1)
落款・押印:「清水清玄」「下部淀平」香蝶楼豊国/年玉印、「さくら姫」一陽齋豊国(押印なし)
改印:衣笠・村田;1847(弘化4)−1852(嘉永5)
作品サイズ:清水清玄・下部淀平;35.5×25.5cm、さくら姫;35.5x24cm

さて作品画面上にはタイトルらしきものはない。MFAは作品タイトルとしてそれぞれの役者名も記していて、1852(嘉永5)年の「恋衣雁金染(こいごろも かりがねぞめ)」という歌舞伎公演の際の作品としている。
「恋衣雁金染」で検索したところコトバンク内に、河竹新七(2代)作、嘉永5年1月に江戸・河原崎座が初演であったことがわかった。
番付探しで確認できそうだ。

<参考文献>
宮地哉恵子 1997 「国立国会図書館所蔵 幕末・明治期 錦絵・摺物等の版元・印刷所一覧(稿)」『参考書誌研究』第47号66頁

<参考サイト>
「恋衣雁金染」『日外アソシエーツ 歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典』 コトバンク https://bit.ly/3yVDKwp(2021年7月30日閲覧)
豊国III(国貞)『「清水清玄」八代市川団十郎「下部淀平」三代嵐璃寛「さくら姫」三代岩井粂三郎』Museum of Fine Arts, Boston 
https://bit.ly/3gctmcj(2021年7月30日閲覧)

外国語に翻訳された日本の本

翻訳本の話し。

日本語の知識がない人が日本の作品を読みたい時、外国語に翻訳されたものを読むことになる。ところが残念なことにその翻訳本が少ない! 他の言語に比べたら多そうな気がする英語訳でさえも、日本語に翻訳された他言語の本に比べようもなく少ない。最近はアニメが日本語への入口になっているなど日本文化に興味を持つ外国語話者は増えているようだが、読書の需要はまだまだのようだ。

実は先日、あるイタリア人からオススメの日本の本をおしえてほしいとメールがあった。文章を書くことを専門としたジャーナリストであるこの女性は、日本人のものの考え方、美意識などを文学を通じて理解しながら日本の造形文化を楽しんでいる。

もう10年以上前、川端康成の『掌の小説』(イタリア語訳)をプレゼントしたことがあった。私自身この作品がとても好きで、どうしても彼女に読んでほしかったのだ。うれしいことにとても気に入ってくれて、それ以来たびたび、おすすめ本のリクエストがあるというわけだ。

さて今回リクエストのために、まずはAmazon.itで翻訳本チェック。おすすめしたい本があっても翻訳されていなければどうしようもないからだ。結果は本当に本当に少ない!! 近年のものならデジタルになっているかと探したものの、それも期待はずれ。翻訳って本当にむずかしいのだ。それはわかるが…なんとかなりませんか!と悲しい気分。せっかく読みたい人がいるのになぁ。

こうなるとあるものから選ぶよりほかない。とは言え、この2冊、文句なしの太鼓判というレベルで決定。

谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』と夏目漱石の『吾輩は猫である』

谷崎のこのエッセーは日本文化理解への王道。漱石の猫は力まず読めて猫に語らせた漱石の(自虐的?)哲学に満足感ありと判断した。オリジナルはすばらしいのであとは翻訳しだいだ。

昨年来のパンデミック。ワクチンが始まった今でさえ目に見えない閉塞感が拭えないなかで、異文化から吹く風が、彼女の夏の休暇にポジティブな空気をもたらしてくれることを願っている。


清水清玄

豊国による清水清玄の登場。

最近になくドラマティックな場面の錦絵だが、ストーリーは知らない。ただ、漫画やアニメに出てくる気が立ったネコのような髪型の青ざめた男の顔は記憶にある。清水清玄とはこの男。

一陽齋豊国画(さくら姫)/ 香蝶楼豊国画(清水清玄)BlueIndexStudio所蔵

一度見たら忘れられない強烈なインパクトを残す狂気の清玄。豊国自身もお気に入りのようで、他の一枚物の錦絵にもこの表情のまま使われている。加えて彫師の高度な技術が目を引く髪の毛やひげの極細の彫りがみられる作品としても知られている。

画像のとおり、残念ながらカビや染み、折れ、破れ、虫食いがかなりひどい。他の作品だったらご免こうむったかもしれない。紙作品の宿命とは言え厳しい保存環境による長旅であったことが想像され、紙の作品好きとしては通り過ぎることができなかった。

因果律

最近、深層心理学者河合隼雄の動画をYouTubeで発見。その動画のなかで『原因と結果』についての興味深いお話しがあった。

1)「マニュアル通りにすれば結果としてその機械が動く」というような「こうすればこうなる」という考え方が現代人に馴染みすぎていて人間関係においてもその方法が通用すると信じている。

2)人間関係にこの法則を当てはめる人は、自分自身はその関係の外で問題を操作しようとしている。

河合先生はこの話しの際に不登校の親を例をあげている。
不登校の子供の親はなぜ子供が学校に行かないかの原因を子供に尋ね、親に詰め寄られて答える子供の言葉から原因“らしきもの”を得てそれを排除し通学させることに懸命になる。しかし多くの場合それで不登校が治るわけではないという。親としてはマニュアル通り動かせば機能する機械のように、子供を思うように動かしたい。こうした親は、子供の不登校の原因のなかに親(自分自身)を入れずに原因を見出して機械のスイッチを押して操作するように解決しようと考えるのだそうだ。

人間は「完全に一つの世界」と河合先生。人間は文化や環境など様々な要因によってベースとなる部分に共通の考え方があったとしても、個々に独立した思考を持っている。そんな人間同士が関係する時、物を操作するように他の人間を操作、コントロールすることは不可能だ。

たしかに。今や因果律を信じすぎているかもしれない。
私はちゃんとやってるのに、なぜうまくいかないの!?
自分でストレスを増やしているようなものだ。

玉石混淆のYouTubeだが、面白いものも潜んでいる。