勝川春英

ひさしぶりのガラス絵《谷風》の絵師、春英について。

このテーマを取り上げた最後は2018年4月25日。それなのに絵師については全く触れずじまいだったと気がついた。

勝川春英の俗称は磯田久次郎。1819(文政2)年江戸生まれ。江戸中期から後期の浮世絵師と言われている。号は九徳斎(くとくさい)。勝川春章に入門後1778(安永7)年にデビューし、作画期は天明(1781~89)ごろから文化(1804~18)とのこと。初期は師匠春章にならって役者絵を専らとしていた。大胆な描写と色彩感覚が評価されていたようだ。

春章は役者絵に似顔絵の要素を加えた初めの絵師の一人。それまでの作品は役者個人の特徴が見えにくく、人々は役者の衣装や持ち物に添えられた紋を頼りに役者の判別していた。役者の身体的な特徴を盛り込まれた大首絵は、スターの「プロマイド」(今でもあるのでしょうか?!)のように、ファンを引きつけコレクターを増やしたことだろう。そして寛政期になると春章・春好に変わって春英がこうした役者絵を牽引していく。この時期は東洲斎写楽、歌川豊国らの華々しい活躍の時期とも重なる。春英の雲母摺大首絵は写楽と同時期に刊行されていることから、両者の影響関係も推察できる。

にもかかわらず、寛政期のおわりごろ役者絵は急激な衰退をみせた。春英は時代の潮流を読んだようで、武者絵や相撲絵、肉筆画に力を注いでいく。
そして1819(文政2)年、57歳で他界。

さてガラス絵《谷風》のオリジナル作品と見ている錦絵《谷風》の製作年は、江戸東京博物館アーカイブによれば1790(寛政2)年~1804(文化1)年とされている。
春英は役者絵だけにこだわらずに広く作画活動を行っていた様子がここからも伺える。

写楽とライバル関係にあったとのこと。春英の雲母摺大首絵もみてみたい。

<参考文献>
浅野秀剛 2010 「浮世絵は語る」『講談社現代新書 2058』講談社
小林忠・大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂

<参考サイト>
内藤正人「勝川春英」『コトバンク 朝日日本歴史人物事典』
永田生慈「勝川春英」『コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ)』
https://kotobank.jp/word/勝川春英-45133(2021/5/15 閲覧)

国芳の「擣衣の玉川」の犬

今回は犬の話。

前前回のボストン美術館所蔵の国芳作の続き物《六玉川 摂津国擣衣の玉川》。
手元にある作品は3作の真ん中に位置するもので、両側には2作品ある。それらの作品にはそれぞれに犬が描かれている。すこし気になったので、当時の犬について少し調べてみた。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川(1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFAの六玉川の続き物を見てみよう。
右側の振り袖の娘のうしろにはまどろむような白黒のイヌ、左の反物を持つ女性のうしろにはシャキッと番犬のように座るイヌ。こちらは2色のまだらにみえなくもないが、影のように表現効果をねらったのかもしれない。どちらも現在の中型犬だろう。

江戸時代、さかのぼって五代綱吉の時代に「生類憐之令」(1687・貞享4)が出され、とりわけ犬の地位が過剰なほどに向上した。犬の戸籍に専門医、犬目付の巡検など、犬を飼うのも容易ではないと捨て犬が増えて、その収容のために野犬の犬小屋を作ったほど。1709年の綱吉の死後やっとこの法令はとかれた。
いずれにしても江戸時代は犬や猫、鳥・金魚・虫といったペットが階層を超えて広く飼われたそうだ。なかでも犬は人に寄り添う性質が強いためか、育て方のマニュアル本が出版されるなど人気のほどがうかがえる。

暁 鐘成著 1800  犬狗養畜傳
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらが『犬狗養畜傳』、マニュアル本。一般的な犬の飼い方だけではなく、愛情を持って犬に接する心得や病の際の薬に至るまで記載があるそうだ。著者の暁鐘成(アカツキ カネナリ)は大阪の浮世絵師とのことだが、浮世絵作品は未だ見ていない。犬に特化した飼育マニュアルが出版されたところを見ると、やはり犬を飼う人は多かったのだろう。

中村惕斎編 1789「犬」頭書増補訓蒙図彙大成 21巻 [2]
国立国会図書館デジタルコレクション

こちらは『頭書増補訓蒙図彙大成』、今で言う図鑑。右側が犬のページ。
右ページの中央が「獒*(ごう)犬」とよばれ、体高が4尺(約120cm)ほどの大きな犬のこと。おもに唐犬(輸入犬)のことだ。毛がフサフサのむく犬が「㺜**(のう)犬」、手前の一番小型犬は単に「犬」。港郷土資料館の資料によれば、この「犬」は一般犬のことだそうだ。

国芳の擣衣の玉川に描かれている座っている犬は体高がありそうなので獒犬のようだが、輸入種が庶民のペットというのは少し無理がありそうなので混合種かもしれない。

国芳作品では犬や猫がたびたび見られる。この作品のように犬の特徴を描き分けていることからも、国芳が犬に興味を持って観察していたこと、好んでいたようだ。

そして幕末も犬は人気のペット。マーケティングに余念がなかった幕末の出版業界は美人と一緒に犬や猫を描くことも販売戦略として狙ったのかもしれない。

*獒(ゴウ):①おおいぬ(おほいぬ)丈が4尺以上のいぬ。②猛犬 ③つよい犬
**㺜(ノウ):けものへんに農という字、手持ちの辞典などでは見つからずWeblioによれば「日本語ではあまり使用されない漢字」とのこと

<参考文献>
貝塚茂樹他 1982 「獒」『角川漢和中辞典』角川書店  p.699d
西山松之助他編 2004「愛玩動物」『江戸学事典』弘文堂 p.398b 

<参考サイト>
暁 鐘成著 1800 『犬狗養畜傳』国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536385
中村惕斎 編 1789「犬」『頭書増補訓蒙図彙大成』21巻[2]
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556824(2021年5月20日閲覧)
「㺜」weblio漢字辞典
https://www.weblio.jp/content/㺜(2021年5月20日閲覧)
港郷土資料館 2017「江戸時代の犬と猫」『港区立港郷土資料館へ行ってみよう!第14号』
https://www.minato-rekishi.com/pdf/kids/ittemiyo-14a.pdf(2021年5月20日閲覧)

『Klara and The Sun』

カズオ・イシグロの新作『Klara and The Sun』。はじめて原書で読んだイシグロ作品となった。

主人公KlaraはAF(Artificial Friend:人工の友達)とよばれる家庭用ロボット。AFの役割はその名の通り持ち主の親友になること。ロボットは機械なのである一定の共通した機能で作られて持ち主の使用に応じて何かしら特徴をもつAIBOのようなものを想像していた。しかしKlaraが売られていたお店のようすから、この物語の中のAFは初めからそれぞれのパーソナリティをもっていることがわかる。AFを販売するお店のマネージャーは、どんな細部も見逃さない観察力と洞察力が際立っているAFとして、Klaraを高く評価している。

この物語ではそんなKlaraの経験が、彼女の言葉で語られていく。

KlaraはJosieというティーンエージャーの親友になる。Josieは難病を抱えている。母親、ボーイフレンド、父親など彼女を取り巻く人々もまたJosieの病によって痛み、そこから個々の問題もまた浮き彫りになる。Klaraはそうした彼らにとっても、ひととき心を許せる存在になっていく。

Klaraは日常で経験するあらゆることを観察してデータとして取り込んでいる。そこから人間の心の機微や行動様式を理解している。いわゆる空気が読める言動まで可能な高度な社会性を身につけながら献身的にAFの役割を果たそうとしているのだ。

そんななか、Josieの病の先が見えない状態にJosieの母親は最悪の事態を想定しはじめる。つまり、もしもJosieが死んでしまったらKlaraをJosieの身代わりとして残りの人生を生きてゆこうというもの。今は一人娘のJosieですが実は亡くなった姉がいた。Josieの母親は娘をふたりとも失うのではないかという不安に苛まれているのだ。母親はKlaraと二人きりになったチャンスにJosieのマネをさせてーKlaraはデータ化したJosieの特徴を利用してJosieのように振る舞えるーその出来栄えに満足する。そして母親の痛みを理解できるKlaraはJosieになりきる準備という、親友としてJosieに幸せを与えるという役割とは相反する使命も負うことになるのだ。

Klaraは太陽の力を信じていた。Klara自身もソーラーパワーで機能しているのだが、AFショップのショーウィンドーから、動かなくなっていたホームレスとその犬が翌日元気になったのを見て太陽の恩恵だと信じていた。太陽が持つエネルギーは、植物の成長を促すように人間に対しても豊かな滋養があると考えていたのだ。Klaraは親友のJosieにもその恩恵がもたらされるよう太陽に何度も働きかける。そしてJosieの快癒の希望が失われたかに見えたとき、力無く横たわるJosieのうえに燦々と太陽が降り注いだのだ。
そしてJosieは意識を取り戻した…

さてこの先、この物語が問いかけてくるものがとても深い。
人と人を生きやすくするために人によって作られたロボット。そのロボットが限りなく人に近いものになっていく。そしてある意味人がなりえない、人にとっての理想の存在となっていく。しかしそれはどこまでも人にとって都合の良い便利なモノ。

人のエゴ、倫理観…日頃ふっと意識に浮かんでは消える疑問を突きつけられたような終盤。

今私達が直面している様々な問題は私達自身が生み出したものなのだと。森羅万象すべてが人のために存在するって思い込んでいるのではないか?人って何なんだろう、生きるって?

児童書のような親しみやすいタイトルに隠された深淵。
拙い英語力で読み飛ばしもあるはず。そんな時はいつもならすぐに読み直すのだが、それが憚られるほど、ずっしりと疲労を感じる作品だった。


摂津の玉川いろいろ

摂津の玉川は六玉川シリーズの一つとして長年にわたって人気のある画題。

ところで、詩歌に歌枕がつかわれるように浮世絵風景画にも土地ごとに決められた風物がある。その土地特産の植物や景色(ランドマーク)、古くから和歌に詠まれた枕詞などを継承して使われていたようだ。江戸の人々は草双紙や口コミなどから情報を得てこうした浮世絵の風物を見ただけで名所を判別できたのだろう。

摂津の玉川の風物は「うのはな」と「砧打ち」。摂津の里がある大阪府高槻市のサイトによれば、「うのはな」の和名は「ウツギ」といい、「砧」は「打つ木(ウツギ)」なので「うのはな」とつながるとのこと。

浮世絵のテーマとしては「砧打ち」風景が取り上げられることが多いようだ。
今回はボストン美術館のアーカイブから「摂津国擣衣の玉川」をテーマにした作品を3作品。

1)鈴木春信作品

鈴木春信画 (1766-1767頃) 
六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」
資料番号: 50.3601 Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

親子だろうか、装いから年齢差がみられる女性二人が砧打ちをしている風景だ。ふっくらとした面差し。木槌を持たせるのは気の毒なほど華奢な手。若い娘の振り袖は帯の結び目に差し込まれて腕を動かしやすくしている。ゆったりとした着物と帯の線のながれからのぞくスッとした首筋、いかにも可憐だ。砧打ちをしていると言うよりも楽器を奏でているような、どこか浮世離れした優雅さと儚さが入り混じった空気。名所画風のタイトルですがやはり美人画におもえる。窓には源俊頼(ここでは相模)の和歌「松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里」が添えられている。

2)歌川広重作品

歌川広重画 (1835–1836頃) 諸国六玉川 摂津擣衣之玉川
資料番号: 21.9959
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

広重作品は名所絵。砧打ちが摂津擣衣の玉川の風物として描かれている。ここでも女性二人が向き合って(一人は幼子をおぶって?)砧打ちの作業をしている。満月に照らされて雁が渡り、初秋の北風にススキが靡くなかの砧打ち。田舎の素朴な日常が季節感ある詩情に富んだ風景として描かれている。そしてここでも俊頼の和歌が添えられている。
そして刷り上がったばかりのような瑞々しい色彩。それもそのはず、この作品はスポルディング・コレクションの1作。実際に鑑賞するのぞみが持てないのがとても残念だ。

3)喜多川歌麿作品

喜多川歌麿画 (1804頃) 風流六玉川 摂津
資料番号: 11.1969
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

この作品は6作品の続き物。こちらの砧うちは紅葉がハラハラと散る秋の風景だ。木槌ちを担ぐ女性に布を持つ女性、そして座っている女性が砧打ちをしている。背景の川は国芳の《六玉川 摂津国擣衣の玉川》と同様に続き物6作品にまたがって一筋の川が流れる手法。ただこの「風流六玉川」では、一筋の川が6箇所の玉川すべてを意味しているらしい。
国芳の砧打ちは牧歌的情緒を感じさせる風景ですが、こちらは市井の砧打ちの雰囲気を感じる。砧打ちの女性のしどけない姿など歌麿の女性たちの艶っぽさは江戸の香りをまとっている。 作品としては、美人大首絵で一斉を風靡した1790年代の絶頂期に比べると緻密さや品格が薄れて、むしろ退廃の空気が漂う。稀代の敏腕プロデューサー蔦屋重三郎ととも独自の表現を生み出した歌麿だったが、この作品年の頃蔦重はすでに亡く、執拗な出版規制の咎に力尽つきてきた時期かもしれない。

同じテーマを取りながらも三者三様の面白みだ。

<参考サイト>

歌川広重《諸国六玉川 摂津擣衣之玉川》 Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3vCjDS7(4/29/2021閲覧)

喜多川歌麿《風流六玉川 摂津》Museum of Fine Arts, Boston 所蔵
https://bit.ly/3tcdomq(4/29/2021閲覧)

鈴木春信《六玉川 「壔衣の玉川 摂津の名所」》Museum of Fine Arts, Boston
https://bit.ly/3tbRQGm(4/29/2021閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)