六玉川のひとつ、摂津の玉川

国芳の《摂津国擣衣玉川》の内容を見ていこう。

手元の作品には作品名がない。先日お話したとおりこの作品は3枚の揃いもので、他の2作のうちの1作に題名が記されている。

こちらがボストン美術館所蔵の完全版。

並べてみると紙から紙への絵柄の連続性がよくわかる。向かって右の作品に《摂津国 擣衣の 玉川》とタイトル。摂津国は現在の大阪府北西部と兵庫県南東部。擣衣(とうい)とは砧打ちのことだ。

一勇齋国芳画 六玉川 摂津国擣衣の玉川 (1847~1852)
資料番号: 17.3211.29 (右), 17.3211.30 (左), 17.3211.31 (中央)  
Museum of Fine Arts, Boston 所蔵

MFA作品では女性たちの奥に鮮やかな青色のうねりがみえる。タイトル付きの作品が山に近い川上で、左に向かって川下となり川幅が広がっている。手持ちの作品(下)は川も川岸も青の濃淡で彩色されているが、MFA作品は川岸が緑色の濃淡で随分印象が違う。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

玉川の「玉」とはうつくしいという意。海外美術館収蔵作品は玉川が「Jewel River」と英語訳されている。まれに見る美しさで貴重な川というイメージだろうか。
古くから日本各地の美しい川6ヶ所を六玉川と呼んでいた。山城国井手(京都府井手町)、近江国野路(滋賀県草津市)、武蔵国調布(多摩川)、陸前国野田(宮城県塩釜市から多賀城市)、紀伊国高野(和歌山県高野山)、そして摂津国三島(大阪府高槻市)の6箇所だ。

うちの作品は見ての通り揃物の中央に置かれる作品。この女性は筵に座って作業中。砧打ちといわれるこの仕事、手に持った木槌で砧と呼ばれる木製(石の場合もある)の台に巻きつけられている布を打っている。この作業をすることで布に光沢がでて柔らかくなるのだ。子どもを背負っての作業でこの量はかなり骨が折れるだろう。左の女性は作業が終わったものを持ち去ろうとしているのか。右の振袖姿の若い女性の奥にもむしろに座って砧打ちをする二人の女性が描かれている。

高槻市の公式サイトによれば三島の玉川は「砧の玉川」ともよばれる。砧打ちは古くから女性の仕事。秋の夜長の砧打ちの音が素朴で趣があることから詩歌にも多くとりあげられた。なかでも浮世絵でよく見かけるのがこの和歌。

松風の音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里 
源俊頼 「千戴和歌集」より

秋の夜長のしっとりした空気と物悲しさが感じられる。

<参考サイト>
「摂津国」『コトバンク』
https://kotobank.jp/word/摂津国-87376(4/27/2021 閲覧)

高槻市 街にぎわい部 文化財課 2012「33.摂津の玉川」『高槻市インターネット歴史館』
https://bit.ly/3ewUXmQ(4/27/2021 閲覧)

《六玉川 「摂津国檮衣の玉川」》Museum of Fine Arts Boston
https://bit.ly/2S6ruZu(4/27/2021 閲覧)

柳沢敦子 2011「「多摩」か「玉」か 六玉川へ」『朝日新聞 ことばマガジン』
https://bit.ly/2QE6g4W(4/27/2021 閲覧)

「摂津国檮衣玉川」

しばらく役者絵の謎解きが続いたので、少しのんびりとした錦絵を選んでみた。

一勇齋国芳画 BlueIndexStudio所蔵

まずは基本情報から。

作品名:摂津国擣衣玉川(せっつのくに とういのたまがわ)
板元:佐野善(佐野屋喜兵衛 喜鶴堂)
落款:一勇齋国芳画
絵師:国芳
押印:なし
改印:衣笠・濱(名主双印の時代)
出版時期:;1847(弘化4)年~1852(嘉永5年) 

この作品は三枚揃いの続き物の一作で、完全版はボストン美術館のアーカイブでも確認できる。

幼子をおんぶしながら砧打ちをする女性。子どもは少し飽きてきた?それともお腹が空いた〜?足を踏ん張ってなにか訴えているようで、女性は仕事の手を止めて思わず振り返っている。なんともほのぼのとした風景だ。
武者絵に長けた国芳の別の一面、国芳はほのぼの系もいい。

<参考サイト>
ボストン美術館:https://bit.ly/3xwpPgf(4/27/2021閲覧)

お気に入りの紅茶

コーヒーもお茶もという点で二刀流といえるかもしれない。お茶もカテゴリー毎に好きなブランドがある。COVIDパンデミックの弊害で我が家の好みの常備紅茶が切れてからかれこれ一年。やっとオンラインで購入が可能になった。

今回は初めて簡易ボックスの包装をオーダーした。届いたものを検品しているとパッケージの後ろに「Okakura Kakuzo」!
なんと岡倉覚三著『茶の本』からの引用が添えられているのだ。

岡倉覚三は日本では東京芸大の創立に貢献し、アメリカではボストン美術館日本美術部門の設営に尽力した。ボストン美術館には彼の号「天心」を冠した小さな日本庭園Tenshin-en(天心園)もある。

『茶の本』は岡倉が英文で執筆した4作(『東洋の理想』『日本の覚醒』『東洋の覚醒』と本作)のうちの1冊。1904−5年にかけて書かれ1906年にニューヨークの出版社Duffield & Companyから刊行された。茶道をテーマに物心両面の日本文化が茶をとおして語られています。ちなみに1904年3月岡倉はボストン美術館の中国・日本部顧問に就任している。

「Meanwhile, let us have a sip of tea… Let us dream of evanescence and linger in the beautiful foolishness of things. – Okakura Kakuzo, The book of tea」

「その間に一服のお茶をすすろうではないか。… はかないことを夢み、美しくおろかしいことへの想いに耽ろうではないか。」
(岡倉天心著『茶の本』)

イギリスの紅茶のパッケージに使われているとは。ボストン美術館ファンとしては同館に縁の深い岡倉さんは以前から親しみも感じていた。思いがけないところで再会した気分だ。

あたたかいお茶をすするひとときの、えもいわれぬ脱力と幸福感。たしかに、瞬く間の壺中の天へと誘われているのかもしれない。
日本とイギリス、深いお茶愛は通じるものがあるようだ。

<参考文献>
岡倉天心 (涌谷秀昭 日本語訳)1994「茶の本」講談社学術文庫

芳瀧の似たもの探し 縁取りの巻+ 

芳瀧の妹背山、似たもの探しの第一弾と思わぬ発見の話。

まず、無いわけではないけれどあまり多くは出会わない、錦絵作品の「縁取り」に注目してみた。縁取りは他の絵師の作品にも見かける。幾何学模様、特に一方に三角形の底辺を並べてギザギザ模様の縁取りは多いデザインだ。
こちらの芳瀧作品もそのひとつ。

芳瀧筆『仮名手本忠臣蔵大切』(1873) AcNo: arcUP2391
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵

このギザギザは模様は「だんだら模様」といわれるものだ。赤穂浪士の羽織の袖口や裾に見られる。この羽織は歌舞伎の衣装でも使われていたために一般にも容易に知られることになったようだ。多分そのためだろうが、絵師に関わらずこのだんだら模様の縁取りが「仮名手本忠臣蔵」に登場することが多い。絵草紙屋に多くの錦絵が並んでいても、遠くからもひと目で忠臣蔵の錦絵とわかるだろう。

仮名手本忠臣蔵は歌舞伎外題としてはとにかく集客が期待できる人気演目。錦絵の方もまた連作が多く芝居に負けない人気だったようだ。

さて本題はこちら。

「妹背山婦女庭訓」部分

芳瀧作品で縁取りのある作品もやはり仮名手本忠臣蔵。1865(慶応元)年の連作と1873(明治6)年の連作だ。いずれもだんだら模様で縁取られている。1873年は芳瀧の改姓のぎりぎり前だろうか。

しかしこの「妹背山」は青い長方形が規則的な空間を開けて連なっている縁取り。オンライン上の芳瀧作品をあちらこちら見て回ったが、これと同じ縁取りの作品はみあたらない。

ただ、こうして縁取った作品を見ていると、縁取りは仮名手本忠臣蔵のような連作に使われていることが多いようにみえる。

妹背山婦女庭訓も歌舞伎演目としてはどの時代にも人気がある。また、作品の題名に「巻の六 大尾」とあり、巻の一から巻の五も存在する連作であろうと想像する。

そこで縁取り探索は一旦中止して、連作があったかどうか、手がかり探しをはじめた。
すると、思いのほか簡単に手がかりがつかめた。

酒井好古堂(日本最古の浮世絵専門店とのこと)のサイトに、日本浮世絵博物館による芳瀧作品の総目録が掲載されている。その中に日本橋南詰本安版の《妹背山婦女庭訓》が「巻ノ壱」から「巻ノ六 大尾」まで6作品記載が確認できる。作品年は残念ながら空欄だ。

妹背山婦女庭訓は連作で存在しているのは確かなようだ。

<参考サイト>
浮世絵・酒井好古堂 (4/08/2021閲覧)
http://www.ukiyo-e.co.jp/64680/2021/01/

ARC浮世絵ポータルデータベース “芳瀧”(4/05/2021閲覧)
https://bit.ly/3fVKWCf

MFA “Yoshitaki”(4/08/2021閲覧)
https://collections.mfa.org/search/objects/*/yoshitaki

Japanese Woodblock Print Search “Yoshitaki”(4/04/2021閲覧)
https://ukiyo-e.org/search?q=Yoshitaki