eBook

紙の本好き。紙に印字したインクの匂い、感触、内容を想像させる装丁をみるとワクワクするし、読みすすめるたびに一方からもう一方へと1枚づつ紙が送られてその厚さが移動していくさまも、はたまた熱中した本の残り20ページあたりからスローダウンしたり、とにかく紙の本は楽しみが多い。

にもかかわらず、今や不本意にもアマゾンのeBook、Kindle本のヘビーユーザー。

理由は3つ。

1つ目の理由、英語が苦手でも英語の本は原書で読みたい。
最近のeBookは各国語の辞書が内蔵してある。わからない単語が出てきても、わざわざ紙の辞書や電子辞書を引く手間が省ける。

内蔵辞書を使っていると単語そのものは全く記憶には残らない。だからといって紙の辞書や電子辞書を引きながらだと内容への集中力が途切れるし、あまりにも時間がかかって挫折必至だ。

2つ目は、日本の本も読める。
アカウントさえあればどこの国のKindle本もダウンロードできるので便利だ。日本の本も新刊本は随分増えている。ただ、アマゾンは各国それぞれにアカウントが必要。一つのデバイスで複数アカウントを管理できるとさらにありがたいが、遠方にいながら読めるだけでもうれしい。

最後に、オーディオブック。
北米では本をプロが読み上げたオーディオブックが多い。アマゾンの書く本のページには、紙の本、Kindle本、オーディオブック付と3種類の値段が表示されているのが普通だ。車社会のせいか運転中に使う人が多いという。私の場合、英語の本をオーディオ付で購入。すでに読んだところを聴いてにわか英語学習に役立てる。しかしオーディオブックから始めると自分のあまりの英語力の低さに先が続かなくなることがあるから要注意。先に本を読んで内容がわかってから聴くと言葉が明瞭になって、ちょっといい気分になる。

というわけで、アマゾンの宣伝をする気は毛頭ないが、洋書を読了できずに自信がなくなっている方にはどこのブランドでもいいからeBookを試してみてはどうだろう。

改印と上方絵

浮世絵版画は芸術作品と言うより今で言えば雑誌や広告に近い社会性・大衆性の高い大量出版物として制作されたため、作家名・タイトルは作品上にみられても、制作年の表記はあまりない。

浮世絵版画の作品考証のアプローチはさまざまだが、《妹背山婦女庭訓》のような芝居絵・役者絵といわれるものは、歌舞伎興行や役者そのもの動向から探る方法がある。運良く辻番付などが見つかると謎解きはかなり捗るのだ。それでも、歌舞伎動向からの情報を裏付けるものとして出版時期との照合は欠かせない。

そこで登場するのが石井研堂著『錦絵の改印の考証』。

江戸時代中期、寛政の改革に伴って出版統制がおこなわれた。この統制は作品の内容に公序良俗を乱すものがないか幕府を非難する内容がふくまれていないかなどを確認し、検閲の証としての改印(極印)を作品上に刷り込んで売り出すというものだ。統制が行われたのは1790(寛政2)年から1875(明治8)年。この『錦絵の改印の考証』では、8期にわたって様式が変化した改印制度を、印章例とともに説明している。幕末に向けて錦絵の出版がどんどん増えていったため、この時期の作品に関してはなおさら、出版時期の手がかりがあることは本当に有り難い。

そこで《妹背山婦女庭訓》。この作品には改印がないことは以前ふれた。そのため私は作品の出版時期は改印制度が廃止されたあとの1875(明治8)年以降と仮定し、ボストン美術館(MFA)のアーカイブで芳瀧のほかの作品を調査していた。その課程で、江戸のような改印がないことに気がついたのだ。

たしかに芳瀧は関西で活躍した絵師。さらに、江戸の浮世絵版画を「江戸絵」というのに対して、京都・大阪の浮世絵版画を「上方絵」と呼ぶという事実。MFAサイトで「kamigata-e」は1720作品ヒット。無作為に20作を閲覧したが、やはり改印はない。立命館大学の浮世絵ポータルサイトでも上方絵リストの改印欄はどこも「ー」。データなしとなっていた。

少なくともこれまでざっとみたところでは、出版統制は浮世絵版画が隆盛を極めた江戸だけで行われていた可能性が高いということだ。何しろ改印の検分をしていたのは地本問屋の行事や改掛かりの町名主。上方のこうした改め係の情報は少なくともこれまで見ていない。

京都・大阪では規制の必要がないほど、江戸に比べると浮世絵の出版数が少なかったせいかもしれない。あるいは幕府のお膝元の江戸ほど出版物の内容に神経をとがらせていなかったのか。芳瀧作品の改印を必死で探していた私にとってはかなりの脱力だが、初めての上方絵のおかげで新たな学びを得られたのは嬉しい!

ということで、制作時期の仮説は取り下げて振り出しに戻るとしよう。

芝居番付

今日は「芝居番付」について。

美術館などでの作品鑑賞のときは何も考えずに作品に思考を委ねてしまうが、錦絵に関しては、芸術性や巧みな意匠もさることながら時代考証もかなり興味深い。

現在、《妹背山婦女庭訓》と《頓兵衛娘於ふね》という二作品を紹介継続中だが、2作とも錦絵の中では歌舞伎役者を描いた「役者絵」というジャンルに入る。

そこで「芝居番付」の登場だ。「芝居番付」とは、江戸時代の歌舞伎公演に関わるポスターやチラシ、パンフレットなどのことでランキング形式になった刊行物の総称。これが、役者絵の謎解きには欠かせない資料のひとつなのだ。

芝居番付には「顔見世番付」「役割番付」「辻番付」「絵本番付」の4種類がある。

まず「顔見世番付」。歌舞伎公演の一年が始まる11月の顔見世興行前に刊行されるもので、この興行からむこう一年間の契約をした役者や狂言作家(物語作家)など、一座のメンバーを紹介するものだ。

「役割番付」は配役表。各興行の前に刊行されるが台帳(脚本)が出来上がる前に作られるので、あくまで予定の配役表。

「辻番付」は人通りの多いところに貼ったり、贔屓筋に配る興行宣伝用ポスター兼チラシ。ちなみに初日興行後の追加告知には小さめの辻番付「追番付」が刊行される。

最後に「絵本番付」。芝居の内容を絵で展開した十数ページの小冊子だ。現在のプログラム。興行が始まってから劇場や「芝居茶屋ー客の案内や食事・休憩の世話をする茶屋ー」で販売された。京都・大阪では「絵づくし」と呼ぶそうだ。

芝居番付は江戸のものと京都・大阪のものでは若干仕様が違ったようですが、役割は共通している。特に「絵本番付」や「辻番付」は役者絵の制作年や描かれた役者の特定に大変有効だ。

番付そのものが現存しているか、そして私の場合オンライン上で閲覧できるか否かが運命の分かれ道ではある。

フィロデンドロン・バーキン

はじめてのフィロデンドロン・バーキンの育て方。

まず鉢に差し込んであったパンフレットによれば、中くらいの日差しで10℃以上の場所において、水やりは表面から2インチ(約5cm)の土が乾いたら与える。6ヶ月毎に肥料を与える。成長は遅い、とのこと。あまりに大雑把なので日本のサイトをチェック。

内容はざっくり言えばおなじなのに丁寧な説明。これもやっぱり文化の特性。パンフレットの内容に日本のサイトの説明を加えるとこうなる。

「明るめの場所を好むので、直射日光は避けてカーテン越しの窓際や、窓から離れたところでだいたい冬でも最低5〜10℃を保てる場所に置きましょう。」

「水やりは、春から秋にかけては土の表面が乾いたらたっぷり与えて、鉢の底から不要の水を出して受け皿などに残さないようしましょう。冬は極力控えめに、枯れない程度にあたえます。こまめに葉水も与えましょう。」

「春から秋は生育期なのでひと月おきに緩効性化成肥料をあたえましょう。」

緩効性化成肥料に若干の不安を感じるが、他はなんとかなりそうだ。

みどりのちから

なんだか気持ちがスッキリしない。
そんなときは家族も何か感じるようで、Home Depotに行こうと声がかかる。

Home Depotいわゆるホームセンターで家の中の必要なもの、建材や工具、電気製品、家具など食べ物以外だいたい揃う便利な店だが、私にとっては植木屋さん。

入った途端、正面の一角が濃淡のみずみずしい緑で埋め尽くされています。運良く観葉植物が大量に新入荷したばかりのタイミング。これは幸運。この店の植木コーナーは巨大だが気をつけないと病んだものも紛れ込んでいるからだ。

そこで目を奪われたフィロデンドロン・バーキン。

新葉の斑が繊細で凛としていて、濃い緑とのコントラストも美しい。角度を変えたり、離れてみたり。根のしまり具合や葉の力など一鉢一鉢チェックすること何十分。植木鉢をラックから出したりしまったりしながらをしつこく見て、語りかける。人が少なくて幸いだった。

Philodendron Barkin

帰宅後早速お清め。鉢周りはもちろん、葉を一枚一枚湿めらせたキッチンタオルで優しく拭いて。そして柔らかな日差しが一日中入る部屋におさまったバーキン。

緑色は人間の目が最もリラックスできる色。自然の生命力の象徴で、成長や希望、健康のイメージを人間に与える癒やしの色とも言われる。普段でも、観葉植物が視界に入ると、すっと気持ちがリセットされて、こころが和らぐ。

モヤモヤ重症気味のときは、じっくり対話をするつもりで植物と向き合って、ゆっくり世話をする。何もすることがなければ、とにかく色んな角度から見る。

すでにかなりスッキリ、リラックスできている私。

頓兵衛娘於ふね

国芳の《頓兵衛娘於ふね》の基本情報。

BlueIndexStudio所蔵

画題:頓兵衛娘於ふね(とんべえむすめおふね)

版元:元飯田町中坂 人形屋多吉

落款・押印:一勇齋国芳(芳桐印)

改印:村田・米良

もう一つ、この作品には裏張りあり。

『Final Portrait』

邦題は『ジャコメッティ 最後の肖像』。

スイスのイタリア語圏出身でフランス・パリで活躍した芸術家、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)が主人公。2017年公開の英米合作映画です。

ジャコメッティといえば無駄を極限まで取り除いた細長い男女や動物のブロンズ像で知られている。数少ない肖像画も彫刻同様に心を射抜かれるようなインパクトがある。

この映画は、ジャコメッティの最後の肖像画となった作品を制作する17日間を通して、彼の人となりや生き様を描き出したものだ。

映画は肖像画のモデル、ジェームス・ロードを通して語られる。彼はアメリカ人のライターでジャコメッティの友人。ジャコメッティは自らの作品に満足することがない。彼の作品は“アーティスト的には”全てが未完という運命を背負っている。ロードはアメリカへの帰国の飛行機を何度も変更しながら根気強く画家の前に何度も座る。

仕事中の画家は、ときにはモデルと言葉をかわし、自らの思いを語ります。

「私は不誠実で嘘つきだ。今まで見せてきたものもみな未完成で、そもそも始めるべきではなかったのかもしれない…神経症なんだ…」

「自殺は最も魅力的な経験だと思うよ。ただ興味があるだけだけど。睡眠薬やリストカットじゃなく生きたまま燃えるのがいい。」

ー不幸せや居心地の悪い環境だけがジャコメッティを幸せにするー

アーティストの兄を献身的に支え続けた弟ディエゴの言葉だ。

ジャコメッティのおそれもまた、日常を刺激して我が身を破綻に導きながらそれを創作の糧とする多くのアーティストの生き様に重なる。

ジャコメッティと妻のアネッティ、弟ディエゴ、モデルで愛人のカロリーヌ、それぞれの関わりをロードは静かに見守る。アーティストを中心にこの三人の役割はとても明確だ。ジャコメッティは彼らの中心にいながら、まるで面倒が起こるよう仕掛けているようだ。

創作の合間、ジャコメッティはロードを誘って息抜きにでかける。1964年のパリ。こうした場面もなんとも魅力的だ。カフェに向かう湿った石畳の狭い路地や、枯れ木の墓地(公園)を歩く二人の後ろ姿。憂いを含んだ空気に溶け込む二人の姿は本当に絵になるのだ。気の利いたジャズやシャンソンに彩られた芸術とAmour(愛)の都は、多くが望んでいるステレオタイプのパリとして描かれている。

それぞれのカットが素人のドキュメンタリーのカメラワークのようにぎこちなく切り替わる映像は、その場に漂う空気や匂いを纏いつつ絵画的な陰影のなかに見る者も引き込まれて、自らその場を見ているような臨場感がある。

たびたび滞りと描き直しを繰り返した作品は、ロードの果敢な介入とディエゴの助けで、意外な完結を遂げる。そして作品はアメリカのエキシビションへと旅経ち、ロードもやっと帰国の途についたところで映画は終わる。

シンプルと言えば、とてもシンプルな映画。しかしながら必ずしも多くない会話が象徴的によくきいていて、脚本もよくできていると感心。それとすべての配役が適役だった。

ジャコメッティを演じるのは『シャイン』のジェフリー・ラッシュ(Geoffrey Rush)、弟のディエゴ役は『モンク』のトニー・シャルーブ(Tony Shalhoub)。この二人の俳優は文句なく素晴らしいのですが、二人の女優を含む全ての俳優が適役と呼べる配置。

監督・脚本は、いつも味のある脇の演技を見せるスタンリー・トゥッチ(Stanley Tucci)。この作品をまとめ上げたトゥッチにBravo!を贈りたい。

《妹背山婦女庭訓》の出版時期

以前、私の手元の《妹背山婦女庭訓》には改印がないという話をした。作品上に改印がないとなれば、絵師の活動時期と照らして改印制度が廃止されたあとの時代1875(明治8)年以降と考えるしかない。

これまでの調査での芳瀧の活動期は“明治中期”までという、これまた大雑把なもの。明治は45年までなので、仮定とするざっくりした時期は1875(明治8)年 〜 1887(明治20)年前後となる。

役者絵の出版時期確定の裏付け探しの場合、役者の動向も役に立つ。

浮世絵版画の役者絵には、キャラクター名と役者名が書かれていることが多い。これを頼りに、その役者がそのキャラクターを演じたのはどこの劇場で、いつ興行されたかという情報を探っていくのだ。

歌舞伎役者の名前は名跡として受け継がれるものが多いため、何代目かというところは要注意。活動期間が短いとか、あまり人気のない役者の場合も捜索が難しくなる。それでもやってみる価値のある調査だろう。