絵はがき

近年は届く機会がめっきり減った絵はがき。さらに昨年からのコロナで遠出もできず、観光地で買うこともない。

今日は、引き出しの中の観光地の絵はがきを整理。そこで日本のものと他の国のもの、ちょっと趣が違うことに気づいたのだ。

日本の絵はがきは、浮世絵版画の名所絵と似ている。各地のランドマークに季節感そえるのがお約束だ。紅葉の清水寺、伊豆の河津桜並木、雪の白川郷などなど、季節ごとの自然の表象を加えることで、各地の名所がよりリアルな美しさをみせている。

一方で海外の観光地の絵はがきは、季節感というよりは時間ごとの日光の変化を意識している感じがする。明るい日中の日差し、夕暮れ時、夜の照明と、主題となる場所が日の出から日没あとまで、光の効果で表情を変えていく瞬間を切り取ろうとしている。

絵画の例を取れば、印象派のクロード・モネも光の効果に惹きつけられて『積みわら』や『ルーアン大聖堂』など、同じ素材を時間を変えて制作しているシリーズがある。ヨーロッパ絵画での風景画のシリーズ化は浮世絵・名所絵の影響だったと言われている。

いずれも美しい瞬間を残そうという意図だろうが、国民性か民族性か、美しさを求めるポイントが違うようで、なかなかに興味深いものだ。

プッチーニ

トスカーナ・ルッカ出身の作曲家ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)。

プッチーニと聞いてピンとこない方も、“あ〜る晴れた〜日〜”という『マダム・バタフライ(蝶々夫人)』のアリアなら聴いたことがあるかもしれない。プッチーニは、1800年代初めのロッシーニ作『セヴィリャの理髪師』から約110年に及ぶ、イタリアオペラ黄金時代の終盤を飾る作曲家なのだ。

昨夜、プッチーニの半生をドラマ化した番組をみた。イタリア国営放送(Rai)制作ということでかなり期待。わずか2話だが、大雑把にまとめながらも史実に忠実に、そして愛情表現は細やかに描く、というところが想像通りでイタリア的だった。

プッチーニの最も知られている作品といえば『ラ・ボエーム』『トスカ』『マダム・バタフライ』。それぞれの主人公はすべて女性だ。深い愛情をいだきながらも自らの力ではどうにもならない状況に追い込まれる運命で死んでいく悲劇だ。そして彼らは高貴な身分ではなく一様に“清く貧しく美しく”生きる娘たちだった。

ドラマの中でプッチーニは、出会う女性すべてに恋をする。場末の盛り場で小遣い稼ぎのピアノ弾きをすれば踊り子といい仲になり、声楽教師に行けば教え子となった実業家夫人と駆け落ちする(妻となるエルヴィーラ)。かなりの遊び人というよりほかない。そんな彼の行動から、後には、プッチーニ家に仕えていた若い女中が、プッチーニ夫人からあらぬ疑いをかけられて自殺に追いやられるというスキャンダルまで起きる始末。しかし実際は、父親を早くに亡くしたため母親と5人の姉妹に弟が一人という女性優位の家庭環境で育ったことによる女性に対する親和性の高さが影響したという見方もあり、決して無分別に女性を軽く見て関係を繰り返したのではないというのが専門家の見解だが、どうだろう。

そんなプッチーニだからなのか、彼の行動範囲はとても庶民的。巷で出会う人々は彼のインスピレーションの源。プッチーニ作品にはこうした普通の人々が情緒豊かな旋律として描かれている。

市井の日常生活を主題にして、情熱的で強い、時に暴力的な感情を表現する作品をヴェリスモ・オペラという。1900年代最後の10年間、イタリア・オペラで栄えました。プッチーニ作品の中では、劇中3人が死を迎え暴力的描写も鮮明な『トスカ』がその傾向が強いと言われている。

ちなみに、作品内容からヴェリズモ・オペラの傾向が見られる有名作品として、ビゼーの『カルメン』や、ヴェルディの『ラ・トラヴィアータ』があります。いずれもドラマチックで、人気の高いオペラだ。

プッチーニの人生最後の作品は『トゥーランドット』。未完の作だ。一見、王子と王女の物語でいつものプッチーニ作品とは異なる設定だが、ここでも「リュー」という心優しい召使いが重要な役目を果たしている。プッチーニの視線が市井の人々から離れなかったことがうかがえる。

実生活での女性関係は生身の人間同士問題はあったに違いないが、プッチーニの繊細で心のこもった振る舞いによって女性たちも心を開き、そこで深められた関係を創作の糧としてしっかり作品に投影しているところは、世に名だたる表現者、アーティストによく見られる習性と、鑑賞者には受け入れやすいのだが…。

参考:https://www.britannica.com/art/verismo-Italian-opera

《妹背山婦女庭訓》その4

前回のポストイットの内容から作品の基本情報となる部分について少しまとめてみた。

作品名:妹背山婦女庭訓(いもせやま おんな ていきん)巻、六 大尾 
版元:日本橋南詰 本安 (松栄堂 本屋安兵衛 大阪道頓堀日本橋南詰東江入南側)
絵師落款:笹木芳瀧画

中井芳瀧(芳滝)1841-1899 幕末から明治時代の浮世絵師。
1841(天保 12)年2月22日生まれ。国芳派、歌川芳梅 (よしうめ) の門人。大坂の浮世絵師で役者絵、美人画を得意とした。1874−75(明治7、8)年頃に笹木家を継ぐも、後に浮世絵師 笹木芳光に譲っている。活動期は1854年11月〜1860年2月(安政期)〜 明治中期。1899(明治32)年6月28日、59歳で死亡。別号に一養亭、一養齋、里の家などがある。

この作品は「笹木」姓なので1874年以降、笹木姓を名乗っている間の作品ということになる。

さて、「妹背山婦女庭訓」の上演劇場を探していて大阪の角座にたどり着いた。芳瀧の時代よりもちろん随分遡るが、長崎の出島に医師として来日していたシーボルトも「妹背山婦女庭訓」を見物したそうだ。

かどざ【角座】
大阪市南区西櫓町の劇場。1652年(慶安5)の道頓堀芝居名代御定のおりの大坂太左衛門芝居に始まる。太左衛門橋を南へ渡った角にあったため角の芝居と呼ばれた。元禄期から竹嶋幸十郎・村山平十郎・竹嶋幸左衛門らが座本として活躍。1758年(宝暦8)並木正三が回り舞台を創案して大当りした。1826年(文政9)江戸参府の途次シーボルトが《妹背山婦女庭訓》を見物した劇場。大西芝居の衰退後も,幕末まで一貫して中の芝居(中座)と共に大芝居の劇場として隆盛を保つ。
「角座」平凡社世界大百科事典 第2版 2018


 胎毛筆

赤ちゃんが初めて散髪した髪の毛で作る筆のこと。
お母さんのお腹の中にいた時に生えた髪の毛で作るから胎毛筆というらしい。子どもの誕生記念やお守りとするものだ。

私の年代なら「へその緒」の意味合いといっしょなのかもしれない。

昨年、友人のYちゃんが長女Kちゃんを出産した。令和元年生まれの命名書を依頼され、ずっとKちゃんの成長ぶりを見せてもらっている。何をしても可愛らしいのは言うまでもないが、子供の成長って本当に力強いものだとあらためて感心。ほとんど親戚の気分になっている。

先日Yちゃん夫妻から、胎毛筆について、どういう準備が必要かという相談をうけた。私自身詳しくは知らなかったので、行きつけの筆屋さんに問い合わせてみた。

通常、生まれて半年〜2年くらいの初めてハサミを入れる髪の毛で作るそうだ。頭頂部・側頭部の髪の毛が最適とのこと。

量は髪の毛を束にして直径1cm程度、長さは5〜10cmが目安。

問い合わせたのは老舗の筆屋。職人の手作りで出来上がりまで6ヶ月程度かかるそう。

生まれてすぐの体重計にのせられた小さな女の子の写真が病室からおくられてきてから約一年。健康にすくすく育っている。髪の毛も伸びてきたけれど、今はCovidで帰国もかなわない。Kちゃんは頭のてっぺんの柔らかな髪の毛をリボンで止めて、生まれてはじめてのヘアカットを待っている。

Kちゃんの唯一無二のお守り、おかあさんとKちゃんをつなぐ絆の証。
早くできることを願っている。

《妹背山婦女庭訓》 その3

画面上で黒枠赤地に文字が書かれた短冊が人物の近くに置かれている。役者絵にはこうしたレイアウトをよく見かける。それぞれ近くの人物のキャラクター名とそれを演じる役者名が書かれているのだ。

BlueIndexStudio所蔵

紙面左上から

①「妹背山婦女庭訓 巻ノ六 大尾」
②「笹木芳瀧画」

ひと枠おいて一番下
③「日本橋南詰 本安版」

反対側、右上から時計回りにいきます!

1)「橘ひめ 中村福助」
2)「藤原淡海 中村宗十郎」
3)「荒巻弥藤次 大谷龍左衛門」
4)「金輪五郎 尾上多見蔵」
5)「玄上太郎 實川延若」
6)「宮越玄蕃 實川菊蔵」
7)「藤原鎌足 市川鰕十郎」
8)「入鹿大臣 **之入鹿(?)」

注:この欄は、一行目の「入鹿大臣」は木版印刷ですが、二行目はなんと直筆だ。誰がいつ書いたものか。めずらしい謎解きのおまけ付き。

ところでこの作品、改印(極印)が見当たらない。

改印とは、幕府による出版統制のために行われた検閲で、1790(寛政2)年から1875(明治8)年まで行われたものだ。大量に出版された錦絵の謎解きには欠かせないヒントとなる。

改印は作品内に置かれるのが一般的。芳瀧の活動期、安政(1854年11月−1860年2月)〜 明治中期を考慮してすると、1875年(明治8)の改印終了後の作品の可能性がある。

オンラインオーダー、ところかわれば

パンデミックに入り、我が家は感染のリスク回避のために買い物はほとんどオンライン。それもこれも配達をしてくれる人たちのおかげだ。本当に有り難いと思っている。

最近、友人の誕生日が3件、そのうち1件は国内、2件は海外だ。昨年から国際便の遅れが甚だしいと聞いていたので贈り物の現地手配を試してみた。
それがちょっと面白かった。

まず国内、サンフランシスコ宛。

利用したのはアマゾンです。日常的によく使うので私のデータは登録済み。ギフトオプションを選んで短いメッセージも記入できます。受取人の詳細を記入して決済までもスムーズ。一つ問題だったのは、同じブランド(出店)のものを2つ選んだのに、別々の到着で、しかも一方しかギフトパッケージにならなかったのは不思議。

次に東京宛。

都内大手百貨店のオンラインサイト。初めての利用で、まずアカウント作成で戸惑った。海外の住所記入の設定があったのだが電話番号は日本のものしか記入できず必須項目になっていてスルーできない。やむなく実家を連絡先に記入。ギフトオプションでは、のし紙の選択肢の充実ぶりに眼を見張る。ただ、カジュアルなリボンの包装はなく、”シール”というのがあったので書いてある内容もわからないままそれを選んでみた。ギフトオプションの選択肢が多いのは日本独特の贈答習慣のためだろう。ただ、自分に必要がないところもきちんと”はい” ”いいえ”の意思表示をしなければ先に進めないところが、なれないせいか、なかなか骨が折れた。

最後はミラノ宛。

手配したのはイタリアの大手百貨店。こちらも初めての利用。アカウントの作成はとてもシンプル。私のデータを入力し送り先も入力。スムースに進んだ。しかしギフトオプションはいつ出てくるのか?そう思っている間にあっという間に決済のボタン。確認事項の送り先の欄で、何故か私のeメールアドレスが送り先欄に記載されている。念の為、最初から慎重にやり直すも二度目も同じだった。これはもしや、自分以外の人に送るという設定がなさそうだ。仕方なくラッピングも不明なまま決済ボタンをクリック。

3件とも、予定通り先方に届きました。3カ国の手続きの違いは生活習慣のちがいと考えて良さそうだ。しかし家にいながらこんな遠隔操作で贈り物が送れるとは、便利な時代になったものだ。

年賀状

昨日、日本からの年賀状が一通届いた。

郵便ボックスを開けて字を見ただけですぐに差出人がわかった。住所の綴を間違わないように気をつけながら書いている緊張感も一目瞭然よくわかる。

封筒に触れると柔らかな和紙の感触。出してみると雲龍の柄。もうほとんどシャーロック・ホームズ状態で色んな角度から確認。

いつもなら、見るものをとりあえずとにかく消毒なのに、すっかり惹きつけられてそれもしばらく忘れていた。そして遅ればせながら消毒開始。しかしそれもいつもより柔らかな紙に消毒液加減しながら染み込ませてごく表面だけを丁寧に丁寧に。

きれいな切手、広重の桜の嵐山。浮世絵好きの私への気遣いもうれしい。
封筒を開く前なのに何度「ありがとう!」とつぶやいたことか。

さて、中から出てきたのは二つ折りにした美しい楮紙。その中に、お年玉付き郵便はがきが挟んであるだ。外から透けないようにということもあるだろうが、新しい年の挨拶状が清らかに届くようにという祈りのようにも思える。

はがきはもちろんお約束の干支のデザイン。今年は丑だ。

欧米の友達なら「ZENだわ〜」と言いそうなすっきりとしたレイアウト。そのせいか新年の幸せと健康を祈願する思いがいっそう強く伝わってくる。

昔々、書の師曰く。年賀状は新年を寿ぎ、挨拶をするのが目的。余計なことは書かない。はがきを用いるのは、たくさんの年賀状が届く時に余計な手間をかけさせないため。先方への心配りが肝要、とのこと。

心配り。

この場合エアメールが良い状態で安全に届くように、あえて封筒を使ってくれたことが心配り。はがきや手紙はこんなにたくさんの幸せを相手にもたらしてくれるのだ。

急がないときは手紙を書こう。 心を込めて。

アハモメント

アハモメント(Aha! moment)、アハ体験、エウレカ効果(Eureka effect)。

いわゆる閃き体験のこと、ある瞬間突然に未知のものごとを認知することで、ドイツの心理学者カール・ビューラー(Karl Bühler)によって提唱された。

わかりやすい例として、アイザック・ニュートン(Isaac Newton)が、りんごの木からりんごが落ちるのを見て「万有引力」をひらめいた経験(この真偽はわからないが)が取り上げられる。

日常では、突然アイディアが浮かぶとか、急にストンと腑に落ちる、といったところだろう。

“突然”、”急に”、というと、偶発的に閃きが降りてくると思いがちですが、実はアハモメントを待つ前にその問題に真剣に取り組む事が重要だそう。

次に、その必死の準備が孵化する時間が、DMN(DMN: Default-Mode Network)といわれる脳がリラックスした”スタンバイ状態”。これは脳が情報分析・準備している状態とのこと。

それが実現しやすい環境として、お風呂・トイレ (Bathroom)・ベッド (Bed)・バス (Bus)・一人でゆったりお酒を傾けるバー (Bar)。「創造性の4B」とよばれる。たしかにボーッとできる場所だ。

まさにバスタブで閃きを得た・・・わけではなく、アハモメントのことを思い出しただけ。

最近、情報過多で脳への刺激が多すぎるのかもしれないと反省。

脳が休みなく働いているとDMNの稼働時間が少なくなって、注意・集中・記憶・判断・閃きなどの能力が低下するのだそうだ。

ということは、老化が進むということ。

いくらニュースを追ったところで、コロナもこの国の問題も私にはどうにもならないこと。ほどほどにして、脳をリラックスさせて閃きをえる準備を真剣にした方が良さそうだ。

笹木芳瀧

浮世絵師、笹木芳瀧(ささき よしたき)について。
錦絵《妹背山婦女庭訓》の絵師だ。

笹木芳瀧は、1841(天保12)生まれ。
姓は中井、名は恒次郎。一時期笹木姓を名乗ったそうで、この《妹背山婦女庭訓》はその時期の作品と推測している。

号は、一養斎・一養亭・養水・里の家・豊玉・寿栄堂・阪田舎居・糊屋。

歌川国芳門下の歌川芳梅に入門、大阪や和泉・堺で浮世絵師として活躍した。
活動期は安政(1854年11月−1860年2月)〜 明治中期。明治中期、明治20年代前後だろうか。役者絵、美人画を得意としたようだ。1899(明治32)年没、59歳だった。

ボストン美術館(MFA)アーカイブサイトで「Yoshitaki」で検索すると、現段階で芳瀧作品317点がヒットする。そのうち246点が役者絵だ。ちなみに、そのつぎにMFAで多いのは美人画ではなく名所絵だった。

<参考文献>
小林忠/大久保純一 2000「浮世絵の鑑賞基礎知識」至文堂
「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」『歌川芳梅』 講談社 
<参考サイト>
コトバンク「里の家芳滝」(2021/1/10閲覧)
https://bit.ly/3tE3nz2
Museum of Fine Arts Boston Collections Search 「Yoshitaki」(2021/1/10閲覧)
https://collections.mfa.org/search/objects/*/yoshitaki

幸福の12粒のぶどう

スペインの年越しの習慣だ。
日本では松が開ける1月7日。友人と遅ればせの新年の挨拶(ビデオチャット)をした。

挨拶もそこそこに「今年はPCのスクリーンのなかの家族とぶどうを食べたのよ〜。あんなかんじでも御利益あるかしら」この友人はスペイン人。クリスマスから新年は毎年欠かさず実家に帰っていたのに、去年はコロナに阻まれて帰国断念した。

そこで年末年始の大切な慣習をオンラインで家族と繋がりながら行ったというのだ。

その方法。

1)12粒のぶどうを用意。

2)マドリッドのプエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)の時計台の鐘が12回鳴らされるのがTVで放映される。

3)その間にぶどう12個を食べ切る!

そうすると、新年に幸福が舞い込むのだとか。

100年くらい前、ぶどうが豊作の年に「幸福のぶどう」と銘打って振る舞われたのが始まりとのこと。そして12個は12ヶ月を意味する。

想像するに除夜の鐘を聞きながらぶどうを食べるというイメージだろう。

簡単そうだが、友人曰く、なかなかむずかしいのだそうだ。

言われてみれば、鐘を打つ回数は108回ならぬ12回だけ。ぶどうに種があったら出したいだろうし、皮が嫌だど皮を取りながら。ということで、事前に皮をむいたり種をとったりする人や、全て準備ができた缶詰を使う人もいるらしい。

それでも幸せが舞い込むのか?

ともあれ、うまくいってもいかなくても、オンラインでも、みんな笑顔になったことは間違いない。

笑う門には福来る

海を挟んで一家そろって笑って迎えた新年、福が舞い込むこと間違いなし!!