如意輪観音

擬宝珠を調べていたとき、如意宝珠の持ち主の一人である「如意輪観音」が気になったので調べてみた。

菩薩は、如来を目指して悟りを求める修行者。王子の身で修行中だったお釈迦様がモデルとなっているため、地蔵菩薩を除いて、装飾品を身に着けて優美な雰囲気を漂わせている仏像が多いのが特徴。

如意輪観音は如意輪菩薩ともいわれ、如意宝珠と法輪(仏の教え)を用いて「命あるものすべてを救済する」のが仕事。

如意とは「思いのまま」ということ。

この観音様の思いのままにどんな困難からも救っていただけるとは、なんとも心強い。

さてお姿。右膝を立ててその右足裏を左足の裏と合わせてゆったりと座り、思いにふけるかの面持ち。それとは対象的に六臂(腕が6本)は、如意宝珠や宝輪・数珠などを持ちいかにも忙しそうだ。

臂に関しては二臂像から十二臂像まで像によって様々だとか。

今私が見ているのはボストン美術館アーカイブのビゲローコレクション(William Sturgis Bigelow Collection)の『六観音像扉絵 如意輪観音』鎌倉から南北朝時代の板絵だ。

六臂を備えたこの像は全身に宝飾をまとい金彩も美しく残っている。伏し目がちながら何かを凝視するような眼差しが印象的。

如意輪観音の表情は「思惟憐憫の情」を表しているのだそう。

ただ見ているだけでも心が安らかになるようだ。

身の三里四方

近隣の産物を売っているスーパーで栗を発見。懐かしのイタリア産だ。

イタリアでは今頃の時期から各地の広場の片隅に炭火の焼栗屋が登場する。日本同様南北に長いイタリア。ミラノとフィレンツェでも味は違うし、南下してシチリアまで移動すると、小粒になって特産の塩をまぶしてあるなど味付けも変わってくる。塩味のシチリア風もまた栗の甘さが際立って美味しい。どこで食べても、甘みやホクホク感が違っても、とにかく美味しいのだ。

パンデミックのさなか海外移動を望んでも無理な話。

現実に戻って、隣町のスーパーマーケット、”できる限り近隣の産物を扱う努力をしている”心意気と、コロナ禍に色々工夫しながら頑張っている様子にはいつも感心している。こちらは感染対策の武装をしながら恐る恐る出かけて行って運良く栗に出会えた。
でも、なぜ輸入?と思ってしまう。

そこで思い出した「身の三里四方の食によれば病知らず」

季節の新鮮な食物を食することが健康を維持する秘訣というのが、昔の人が言わんとしたことだと理解している。1里が約500mとして3里は1.5km。この距離ならば作物が人力で運ばれていた時代でも十分新鮮に届くだろう。

ここまでの近距離とは言わないが、イタリアから輸入しなくとも良さそうなものを…栗の木も多いであろう広大な国なのに、アメリカ産の栗に出会ったことがまだない。

栗好きとしては是非米国産の栗も食してみたい。
と期待しつつ、今夜はイタリアからの遥々来てくれた輸入品を、今年の初物として頂こう。

選挙ストレス

今日は2020年11月3日、日本は文化の日。

米国では4年に一度の11月第一火曜日、大統領選挙投票日だ。

選挙投票にあたって今回の有権者の判断材料は例年以上に多いはず。なにしろCOVID19など例年ではなかった。医療の問題で政府主導のアドバイスを信頼できるかどうかまで考えなければならないのだ。この国にずっとあり続けた人種問題はまったく好転していないどころか悪化の傾向。さらに投票システムの信頼性まで疑われている始末。諸々含めてもちろん次期大統領はどちらにするか。

大統領選の候補者はこうした問題に関して対極に立つ2人。支持政党の違いは家族のなかでさえもいつの時代にもあることだろう。ただ今回の報道を見ていると両陣営の対立ぶりが一般の人間関係にも影響しているようで、私個人の経験からしても日常の近所との気軽なおしゃべりも今まで以上に神経を使うものになっている。さらに、選挙運動における公人の言動や真偽の定かではない情報の拡散もあり、報道を見聞するだけで不快感を感じたり将来に対する不安を強める人も多いといわれている。

こうした中で耳にしたのが、「選挙ストレス障害(election stress disorder)」。

もともとは2016年の大統領選挙の際、メリーランド州のカップル・カウンセラーのスティーブン・ストスニー(Dr. Steven Stosny)により明らかにされたものだ。

アメリカ心理学会の統計よると、成人アメリカ人の68%(10月発表の世論調査)が選挙を重大なストレスと感じていると報道している。こうしたことを裏付けるようにメンタルヘルスのセラピストの需要が高まっているということは頻繁に報道されている。

前述のストスニー博士や有識者は、ニュースやソーシャルメディアからの情報の扱いに慎重になるよう呼びかけている。内容の真偽を確認したり冷静に理解するための時間をとることが、他者との会話を穏やかにするだろうとしている。

情報の理解に時間をとること、情報のソースを確認することは必要だろう。

それに加えて、自分と違う意見、自分が望まない結果もありうるということを認識する必要があると思う。いつも自分の思うように世の中を動かさなければならないという戦闘態勢でいることがストレッサーにもなり、人間関係の分断を起こすのではないだろうか。

投票数がかつてない数に上ったのは喜ばしいことだ。しかしそれはまた不安の現れかもしれない。こんな事も含めて今回は「歴史的大統領選」と呼ばれている。

すでに投票時間は締め切られて結果報道が始まっている。
いずれにしても、ストレスが軽減される結果となることを願うばかりだ。

<参考サイト>
Katherine Cusumano 2020「Don’t Give In to ‘Election Stress Disorder」『The NewYork Times』
https://www.nytimes.com/2020/10/31/at-home/election-stress.html

橋の上の玉葱

「東海道五拾三次之内 日本橋」安藤廣重 1830-186

「日本の橋の上の玉葱みたいなもの」あれは何だと、外国の方に何度か聞かれた。

擬宝珠のことだ。

そういえば橋だけではなく、高貴な建造物の高欄でも見かける。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』によると、高欄(こうらん)の親柱(おやばしら)の頂部につく宝珠(ほうしゅ)形の装飾で、頂部を削り整えたものや青銅製または鉄製の金物をかぶせたものがあるとのこと。

 「仏典では、宝珠は海底に住む竜王の頭から出現したもので、毒に侵されず火にも燃えない霊妙なものとし、それを擬したものが擬宝珠である。擬宝珠に金属製のものが多いのは、親柱頂部が雨水で腐朽するのを防ぐためにかぶせたからである。」    

宝珠は願いどおりの宝を出す珠のことで、如意輪観音や地蔵菩薩の持ち物だそう。それと五重塔の頂部にある飾りも宝珠とよぶとか。その宝珠を真似て作ったものだから擬宝珠というそうだ。

木造の橋がかけられていた時代、欄干の擬宝珠は親柱を腐朽から守るだけではなく、川の氾濫や橋の落下などから通行人を護る願いも込められていただろう。

早速Googleで検索。伊勢神宮 内宮の宇治橋、京都の三条大橋、盛岡の上の橋のほか、復元されて真新しい鳥取城跡内堀にかかる擬宝珠橋など各地で見られるようだ。名所絵で有名な日本橋の擬宝珠は浮世絵に残るだけになってしまって残念。

次回誰かに聞かれたら、今までよりマシな説明ができそうだ。

<参考文献>
工藤圭章「擬宝珠」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館

初雪の朝

落ち葉掻きのまもなく…

ぼんやりとした寝起きの頭で、暖房が自動作動する音をきいていた。

このあたりの真冬はマイナス10度は軽く超える。配管凍結防止のため暖房は24時間稼働だがが、温度は時間毎に設定している。そして今朝、今シーズン初めて暖房が自動作動でより強力に動き出した。つまりそういう寒さになったというわけだ。

シンと静まり返った朝。

この静けさ、しばらく忘れていたけれど、間違いなくあの気配。
すべての音を包み込む雪がふっている、しかも積もっているということ。

また長い冬がはじまることを思いながら、真っ白の積雪を期待してカーテンを開けたところ、終わりかけの紅葉が落ち葉となって新雪の一面をおおっている。なんとも美しい!裏口のドアを開けながら懐かしい冷気につつまれて、しばし秋冬の入り交じる朝に見惚れた。

雪が溶けたら今半ば凍ってるこの落ち葉も哀れな姿になるのかと、ハロウィーンの準備で落ち葉掻きを先延ばしにしたことを後悔した。

そしていきなり蘇った記憶。

「女の盛りなるは、十四五六歳廿三四とか、三十四五にし成りぬれば、紅葉の下葉(したば)に異ならず 」

こんな文章を見つけて他人事のように笑いあっていた学生時代…こんなにしみじみとした気持ちで雪に入り交じる落ち葉を見る自分など思いもよらなかった。

ひんやりとした廊下でひとり、自分の頬が高揚し緩むのを感じた。

『梁塵秘抄』巻第二、394
平安後期の今様とその周辺歌謡の集成。後白河法皇撰。明確な成立年時は未詳。