「谷風」のタイトルと署名・印影

錦絵とガラス絵それぞれのタイトルと署名・印影を比べてみた。

まずタイトルの「谷風」。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

「谷」は多少の集中力はみえますが、「風」はかなり苦戦している。風は中学校の書道レベルでもバランスの取りにくい字。下書きに沿ってなぞったのだろうが、錦絵でみられるスッキリとした起筆・収筆には及ばない。ただ、遠目にはよく似て見えると言えるかも。

次は春英の落款と極印。錦絵の画像の画質で拡大するとこれが精一杯。残念ながらとても見にくい。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

錦絵のほうが非常に不鮮明だが大雑把ながらも文字の形の違いはハッキリわかる。それとガラス絵の方、極印と一部重なって大きめの朱文らしいものが見えます。これは錦絵の方には存在しない。印文は理解できていない。

最後に板元永寿堂の印。

勝川春英画 ガラス絵「谷風」部分
E.Takino氏所蔵
勝川春英画「谷風」部分 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵

ここまですべて同じ画像を使っているが錦絵のこの部分は比較的鮮明に写っている。全体としてはよく写し取っている。ただ錦絵の方は山印の次が三つ巴だが、ガラス絵の方はボールが3つ、勾玉のかたちではないようだ。頂点のボールと下の2つにはそれぞれ短い線でつながっているようにも見える。

これら3つの比較から。
1)錦絵をガラス絵が真似ていることは明らか。
2)複写の精密度と錦絵にない印影(らしく描かれたもの)の朱文から、製作者に日本語の知識があったか疑問。
3)錦絵を基に作られたガラス絵を複数見る経験が必要。完成度を知りたい。
以上

錦絵「谷風」

錦絵《谷風》。
左側の画像が江戸東京博物館収蔵の錦絵《谷風》。

勝川春英画「谷風」(1790寛政2年~1804文化1年) 38.5x25.0cm 資料番号: 94200373 
江戸東京博物館所蔵
勝川春英画「谷風」
50.5 x 32.0cm
E.Takino氏所蔵


錦絵の画面向かって右下、谷風の左足部分に欠損(別紙による補強)がある。
ガラス絵は画像が暗めで残念ながら画題や落款が見えにくい。

一見して錦絵とガラス絵は酷似している。

ガラス絵の墨線を辿ってみると、形はとれていても錦絵に見られる切れ味のいい線は見られない。どちらかというとたどたどしい線だ。タイトル「谷風」や落款、印影に関しては、ガラス絵はさらにもどかしい筆運び。絵具の濃度のせいで筆の動きが鈍くなった可能性もあるだろう。こういう点はほかのガラス絵をみて、どのような線質で描かれているか比較したいところだ。

もうひとつ、大きさが気になる。今回は2作品の画像を比較するために、見やすさを重視してなるべく同じくらいの大きさで並べている。
実際の錦絵は 38.5x25.0cm.
ガラス絵は額縁が塞がっているのが難点。フレームの内側で採寸すると50.5 x32.0cmだが、力士の身長なら頭頂から足の指先は46.5cm。幅は廻しの総から総で30.5cm。つまり背景を除いて、力士だけを切り取ったサイズは高さ46.5cm 、幅 30.5cmとなる。

この切り取ったサイズだと、ガラス絵は錦絵の約20%増しの作品になっている。現在ならばコピー機やコンピュータの印刷機能などで簡単に画像の拡大ができるが、それ以前の作品で、手作業ならばなかなか難儀な作業だっただろう。錦絵を元絵にした他のガラス絵作品の拡大サイズも比べて見てみたいものだ。

浮世絵の出版時期とガラス絵制作時期は必ずしも一致しないことは念頭に入れて置かなければならない。
制作時期の特定とどこで制作されたということに関しては、かなりの難題だろう。

見つかった錦絵は現在のところ江戸東京博物館所蔵のこの作品のみだが、このガラス絵の元絵はこの錦絵と考えて良さそうだ。

<参考サイト>
江戸東京博物館
https://bit.ly/3w986ul

ガラス絵とは

板ガラスの裏側から泥絵具や油絵具を使って描かれたものをガラス絵(ビードロ絵)という。裏から描いて表から鑑賞するものだ。

泥絵具とは、天然の土や貝殻を砕いて粉末状にしたものに膠を混ぜたもので、江戸時代は芝居の看板絵や絵馬の制作に使われた。不透明で濁った色と質感から油絵具に似たものと捉えられ、幕末から明治初期のガラス絵などに使われたそうだ。

ガラス絵は木版画の彫りと同じように元絵の裏側の図柄を描くわけだが、泥絵具は濃度があり筆致が残るため、表側から見える仕上がりを意識して、通常とは逆の順番で描いたようだ。

ガラス絵は当時国内で唯一海外に開かれていた長崎からもたらされた。江戸時代に長崎を通して中国のガラス絵が輸入され長崎派の画人が創作をはじめた。1570年の開港以来長崎にはさまざまなガラス製品が輸入されていて、ガラス絵の技術は長崎の職人にも受け入れやすかったのだろう。次第に江戸にも伝えられ浮世絵の美人画などを画題として制作された。

ガラス絵のサンプルを収集するべく、収蔵されていそうなオンラインサイトの検索を続けているが信頼にたる情報には出会えていない。錦絵に比べれば制作数が少ないことは覚悟していたが、加えてガラスは壊れもの、今日まで残る(残す)ことはなかなか難しいのかもしれない。


<参考文献>
小林忠「泥絵」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
東京芸術大学大学院文化財保存学日本画研究室編 2007「泥絵具」日本画用語事典 東京美術