長登とファン・ゴッホとジャポニスム

ウェブ検索によれば、貞斉泉晁作の錦絵《尾張屋内長登》は2つの美術館で所蔵が確認できる。ボストン美術館に2点、もう1点はアムステルダムのファン・ゴッホ美術館。

ファン・ゴッホ美術館(以下VGM)はフィンセント・ファン・ゴッホ作品の展示公開を目的に1973年に開館した。1890年の画家フィンセントの死後、彼の作品などは弟のテオ、その妻を経て夫妻の息子フィンセント・ウィリアム・ファン・ゴッホ(伯父と同名)に相続されていた。作品をまとまった形で保管・公開したいというこの甥フィンセントの意思によりファン・ゴッホ美術館財団が設立され、オランダ政府が出資して美術館が建設された。ファン・ゴッホ作品のほか交流のあったポール・ゴーガンやトゥールーズ=ロートレック、彼が好んで模写をしていたバルビゾン派のミレーの作品なども所蔵する。ちなみに今年2023年、同館は50周年を迎えるとのこと。

VGMによれば、彼が1886−87年に購入した660点の浮世絵版画のうち、少なくとも512点が美術館に所蔵されているという。そして《尾張屋内長登》もフィンセントが収集した浮世絵版画の1つだったのだ。

Van Gogh Museum (公式サイトより)

1886年フィンセントはパリのアートディーラーのマネージャーとして働くの弟テオ宅に居候を始める。このころフィンセントは、通っていた画家フェルナン・コルモン(Fernand Cormon, 1845–1924)の画塾やテオを通して、モネやトゥールーズ=ロートレックなどの印象派の画家たちと出会う。そしてファン・ゴッホ兄弟は、1870年から浮世絵版画と工芸の店を経営していたジークフリート・ビングから浮世絵版画を買い始めるのだ。

同年の5月に刊行された雑誌『パリ・イリュストレ』の日本特集はシャルル・ジロが編集長を務め(馬淵,2011)、林忠正の論考や歌麿、春栄、豊国、北斎の図版が掲載された。これもフィンセントに多大な影響を与えたといわれている(神津,2017)。ビングについては以前ベルト・モリゾ関連で触れたが、もう少し先の1888年5月に『芸術の日本』を創刊している。1891年4月まで続いた月刊誌でフランス語、英語、ドイツ語の3カ国語で出版された。各号の表紙は絵画や浮世絵がカラー印刷され、論文1本と10点の色刷り複製版画が含まれたものだった(吉田,2014)。こうした質の高い出版物の数々からも、当時のジャポニスムの潮流の大きさがうかがえる。

フィンセント・ファン・ゴッホの作風は1886年以降、著しい変化が見られる。パリで出会った印象派や浮世絵に触発されたことはいうまでもない。そのうえこの1886−87年は、絵の具の質が大きく向上した時期でもあった(秋田,2019)。つまり、土由来のくすんだ色から鮮やかな色彩表現が可能になったことは「日本のような明るさ」を描こうと鮮やかな色を必要としたファン・ゴッホにとって、とても幸運なことだったのだ。

こうして描かれたフィンセントの浮世絵版画と日本への熱狂は、色彩豊かな作品によって今や誰もが知るところ。浮世絵から受けた豊かな色と明るい印象を日本そのものに重ね、地中海性気候の南フランス・アルルを日本に見立てて引っ越したのはそれから約2年後のことだ。

フィンセント・ファン・ゴッホは彼にとって異文化そのものだった浮世絵版画を自らの技術とアイディアに昇華し、独特のスタイルを確立した。独創的な解釈、彩度の高い絵の具使いや大胆な筆致で描かれた晩年の作品が国境を越えて多くの人々を魅了するのは、それらの作品の一つ一つに「庶民の芸術」と呼ばれた浮世絵版画の魂が受け継がれたからなのかもしれない。

参考文献
秋田麻早子 2019「絵を見る技術ー名画の構造を読み解く」朝日出版社
神津有希編 2017「北斎の受容およびジャポニスム関連年表」『北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃』国立西洋美術館 読売新聞東京本社 pp.314-323
吉田典子 2014「ベルト・モリゾと日本美術(2):麦わら帽子の少女における浮世絵の画中画について」『Stella』33, pp.213-236.  Société de Langue et Littérature Françaises de l’Université du Kyushu

参考サイト
馬淵明子『フランス人コレクターの日本美術品売立目録』紹介サイト
https://www.aplink.co.jp/synapse/4-86166-059-7.html

「Van Gogh Collects: Japanese Prints」Van Gogh Museum
https://www.vangoghmuseum.nl/en/japanese-prints

「Biography, 1886 – 1888 From Dark to Light」Van Gogh Museum
https://www.vangoghmuseum.nl/en/art-and-stories/vincents-life-1853-1890/from-dark-to-light