ピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト生誕》1/2

2022年12月ロンドンのナショナル・ギャラリー(以下NGL)で、修復を終えたピエロ・デッラ・フランチェスカの《キリスト生誕》が再公開された。現在、世界中の美術ファンの注目を浴びている。この注目の原因を探る前に、今回はこの作品のNGLに至る来歴を確認してみよう。

最初に作品の概略。テーマはキリスト誕生の場面、幼子キリストと聖母マリアと夫のヨゼフ、音楽を奏でる天使、羊飼いに牛とロバという、伝統的な降誕の様式に則ったものだ。背景には画家の出身地サンセポルクロの風景が描かれた。

The Nativity (1470–75) Piero della Francesca(修復前)
National Gallery, London 所蔵 *Wikipediaより

ピエロ・デッラ・フランチェスカはルネッサンス期1400年代のイタリア・トスカーナ出身の画家。生没年に諸説あるが、NGLのサイトでは 「about 1415/20 – 1492」と記載されている。

この作品の制作年もまた、多くの仮説がある。最も古い制作年として1470年、あたらしいものでは1480年代と、10年以上のばらつきがある。
左はWikipediaから引用した画像(修復前)でキャプションの制作年は「1470-75」となっている。今回は画像と一緒にその通り使用した。
NGLの現在のキャプションでは 「1480年代初期」と表記されている。
作品はピエロの地元サンセポルクロで描かれ没後も地元の親族宅にあった。1500年代の画家・美術史家のジョルジョ・ヴァザーリは実際にそこを訪問して作品を確認した記録が残っている。

この作品に動きが見えるのは制作から約300年を経過した1826年。相続人の一人であるジュゼッペ・マリーニ・フランチェスキが、この作品をフィレンツェのウフィッツィに売買のために預けている。NGLも「1825年まで地元の親族宅に作品があった」とするところからも、マリーニ・フランチェスキが初めてこの作品を移動させたと思われる。

1826年にはマリーニ・フランチェスキがウフィッツィのディレクター宛てに 「作品が経年劣化とそれまでの相続人の粗雑な扱いのために相当のダメージを受けている」という内容の書簡を送っている。ダメージのなかには加筆や蝋燭のあともあったとする研究者もいる。売り出す前提でウフィツィに預けたことからも、ウフィッツィにクリーニングも依頼した可能性も指摘されている。

このようにダメージのほかに欠損も目立つこの作品は「そもそも未完成作説」と、1800年代の強烈な「クリーニングによってダメージを受けた完成作」という説が存在する。

実際このクリーニング作業がウフィッツィ(フィレンツェ)で行われたとすれば、ルネッサンス期の作品に最も経験がある地で行われたということになる。それでもなお、クリーニングによる二次被害を被ったとなると、作品解釈、技術、薬品などいずれをとってもいつの時代においても修復という仕事は相当に難しいものなのだろう。

こうした作品の本質に関わる問題がありながらも1861年、この作品がNGLの初代館長の目にとまる。しかしこの時点では他のコレクターが購入しイギリスに持ち込んで修復する。1874年に晴れてNGLが購入したあと、1884年に同館としての最初の修復を行う。このあと1949ー1950年にも修復が行われ、3度目となった今回の修復を終えたNGLは、この作品が完成作品であると発表した。

次回はこの作品の修復後を見ながら話題の原因を探ってみる。

<参考文献>
Maurizio Calvesi 1998「Piero della Francesca」Rizzoli International Publications,In

<参考サイト>
Piero della Francesca《The Nativity》
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Nativity_(Piero_della_Francesca)
(画像, 2022/12/20閲覧)