シタ売


豊国の錦絵《舎人梅王丸・舎人桜丸》に、縦型楕円の枠に「シタ賣」と押印がある。「賣」は「売」の旧字体。ちょうど「村田」「米良」の2つの改印に続いて置かれている。

舎人梅王丸・舎人桜丸 (部分) BlueIndexStudio所蔵

これは「下において売る」という意味だ。地本問屋・書物問屋など出版物を販売していた当時の書店では、錦絵などを客からよく見えるように吊るすなどして販売していた。しかし、この印が押された版画は、下げたり飾ったりせずに下に置くなど「目立たないようにして売るように」という但し書きが加えられた形だ。

この時期は2名の町名主が作品検分をしていた。担当町名主は「村田」「米良」。「シタ賣」印の有無も町名主の判断となる。

この印が使われた時期は1850(嘉永3)年3月から約4年間、似顔絵とわかる役者絵の一部(竹内 2010)に押印されていた。

今回の作品は1850(嘉永3)年7月の江戸・中村座上演にあわせたもので、梅王丸は7代目市川高麗蔵、桜丸は初代坂東しうかを描いたものであることが、早稲田大学演博データベースによって確認できる。

『江戸文化の見方』によれば、1850(嘉永3)年3月は、天保改革の奢侈禁止令に触れて江戸払い(江戸十里四方追放)になっていた5代目市川海老蔵(7代目市川團十郎)が赦免となり江戸の舞台に復帰した時期であるために、話題の人気役者海老蔵を題材にした作品に「シタ賣」が押印されたものが多く見られるとのこと。

ちなみに、梅王丸を演じた7代目市川高麗蔵は5代目市川海老蔵の三男ににあたる。

天保改革により禁止されていた役者絵の流通が復活を見せていた時期。出版業界としては売れ筋の役者絵が再度の禁止令を受けることを危惧し、控えめな販売方法を促すために使われたのが「シタ賣」印だということだ。

<参照文献>
竹内誠 2010 「出版統制」『江戸文化の見方』角川学芸出版 p.316−317

<参考サイト>
早稲田大学文化資源データベース《舎人梅王丸・舎人桜丸》
https://bit.ly/3Kjtjcg(2022年1月11日閲覧)