『Final Portrait』

邦題は『ジャコメッティ 最後の肖像』。

スイスのイタリア語圏出身でフランス・パリで活躍した芸術家、アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)が主人公。2017年公開の英米合作映画です。

ジャコメッティといえば無駄を極限まで取り除いた細長い男女や動物のブロンズ像で知られている。数少ない肖像画も彫刻同様に心を射抜かれるようなインパクトがある。

この映画は、ジャコメッティの最後の肖像画となった作品を制作する17日間を通して、彼の人となりや生き様を描き出したものだ。

映画は肖像画のモデル、ジェームス・ロードを通して語られる。彼はアメリカ人のライターでジャコメッティの友人。ジャコメッティは自らの作品に満足することがない。彼の作品は“アーティスト的には”全てが未完という運命を背負っている。ロードはアメリカへの帰国の飛行機を何度も変更しながら根気強く画家の前に何度も座る。

仕事中の画家は、ときにはモデルと言葉をかわし、自らの思いを語ります。

「私は不誠実で嘘つきだ。今まで見せてきたものもみな未完成で、そもそも始めるべきではなかったのかもしれない…神経症なんだ…」

「自殺は最も魅力的な経験だと思うよ。ただ興味があるだけだけど。睡眠薬やリストカットじゃなく生きたまま燃えるのがいい。」

ー不幸せや居心地の悪い環境だけがジャコメッティを幸せにするー

アーティストの兄を献身的に支え続けた弟ディエゴの言葉だ。

ジャコメッティのおそれもまた、日常を刺激して我が身を破綻に導きながらそれを創作の糧とする多くのアーティストの生き様に重なる。

ジャコメッティと妻のアネッティ、弟ディエゴ、モデルで愛人のカロリーヌ、それぞれの関わりをロードは静かに見守る。アーティストを中心にこの三人の役割はとても明確だ。ジャコメッティは彼らの中心にいながら、まるで面倒が起こるよう仕掛けているようだ。

創作の合間、ジャコメッティはロードを誘って息抜きにでかける。1964年のパリ。こうした場面もなんとも魅力的だ。カフェに向かう湿った石畳の狭い路地や、枯れ木の墓地(公園)を歩く二人の後ろ姿。憂いを含んだ空気に溶け込む二人の姿は本当に絵になるのだ。気の利いたジャズやシャンソンに彩られた芸術とAmour(愛)の都は、多くが望んでいるステレオタイプのパリとして描かれている。

それぞれのカットが素人のドキュメンタリーのカメラワークのようにぎこちなく切り替わる映像は、その場に漂う空気や匂いを纏いつつ絵画的な陰影のなかに見る者も引き込まれて、自らその場を見ているような臨場感がある。

たびたび滞りと描き直しを繰り返した作品は、ロードの果敢な介入とディエゴの助けで、意外な完結を遂げる。そして作品はアメリカのエキシビションへと旅経ち、ロードもやっと帰国の途についたところで映画は終わる。

シンプルと言えば、とてもシンプルな映画。しかしながら必ずしも多くない会話が象徴的によくきいていて、脚本もよくできていると感心。それとすべての配役が適役だった。

ジャコメッティを演じるのは『シャイン』のジェフリー・ラッシュ(Geoffrey Rush)、弟のディエゴ役は『モンク』のトニー・シャルーブ(Tony Shalhoub)。この二人の俳優は文句なく素晴らしいのですが、二人の女優を含む全ての俳優が適役と呼べる配置。

監督・脚本は、いつも味のある脇の演技を見せるスタンリー・トゥッチ(Stanley Tucci)。この作品をまとめ上げたトゥッチにBravo!を贈りたい。