ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ

イタリア・シチリアの第二の都市カターニアから車で約1時間半のピアッツァ・アルメリーナという地で発見された古代ローマ時代の有力者の別荘が、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ (Villa Romana del Casare)だ。1997年世界遺産に指定されている。気温35度の炎天下、意を決して訪ねてみた。

四方の海から十分に内陸に入ったこの土地は、古代ローマの大土地所有制ラティフンディウム(latifunduim)と関連した別荘として非常に高い地位の有力者が所有していたと言われている。古くは1世紀から素朴な邸宅があったようだ。ここが最も発展した4世紀の建造物の下に紀元後1世紀までに作られた壁の残骸が発見されたことでこれが証明された。現在残るものは361年から363年の地震の後に増築されたものとされている。

浴場の外側にあるボイラー

4世紀は大広間をはじめとする各部屋や廊下などに豪奢な装飾が施されるなど、全体として非常にで充実を見せた時期だという。5〜8世紀には古い構造の上に田舎の集落が建てられた。その後も様々に変化しながらも集落として使われていたが、12世紀後半に大規模な崩壊がありこの地は放棄された。14〜16世紀に再び活気を取り戻すも17〜18世紀に頻繁に発生した洪水により水没し忘れ去られた。

床のモザイクを見る見学者

1820年サバティーノ・デル・ムト(Sabatino del Muto)の指導で発掘が行われ遺跡の大部分とモ
ザイクの床が発見された。

最初の発見から採掘や研究が継続されていたが、1900年代半ばになると遺跡保護のプロジェクトも始まり段階的に現在の形が作られたようだ。

来客を迎える玄関から続く回廊



3500㎡の遺跡は現在、全面が屋根で覆われて見学者用の通路は高い位置に作られている。壁のような仕切りはないため歩きながら四方広範囲が見られ、そこから見下ろすモザイク画の大廊下などは圧巻だ。

右は来客用の玄関から続く列柱に囲まれた中庭。内側がモザイクが敷き詰められた回廊となっており中庭の中心には噴水が備えられている。床のデザインは月桂樹の冠を模したメダリオンの中心に動物の頭部が描かれ、4隅には植物や鳥が置かれている。別荘の主人が来客に対して富と権力を誇示する最初のインパクトになっただろう。

浴場に向かう家族

別荘には50を超える部屋があり、床を埋め尽くした豪華なモザイクは、用途にあわせて意匠を凝らした贅沢で洗練された仕事ばかりだ。モザイクのマエストロはアフリカから呼び寄せられたと言う。北アフリカ、エジプトあたりとの国交だろうか。
左の画像は浴室前の脱衣所。女主人と香油や入浴用具を持った人々が入浴に向かう様子が描かれている。

主寝室
十人娘の間




他の部屋も、主寝室にはロマンティックなカップルのモザイク画、キッチン(パントリー)にはフルーツなどの図柄をとりいれるなど、それぞれに細やかな意匠を凝らしている。

「十人娘の間」と呼ばれる部屋には、スポーツを楽しむビキニ姿の少女たち。健康的で活発な少女たちの動きが古さを感じない。しかしよく見ると、例えば右下の少女、プロポーションとポジションのバランスがとれていない。ちなみに左上部角の欠損部分から少女たちのモザイク画の前にあったジオメトリックなデザインのモザイクが見えている。フレスコ画の壁は残念ながら多くは残っていない。
当時の画材と技術の未熟さのせいだろう。水没も経験しているはず。残念だ。

大狩猟(部分)

この廊下が最も有名だろう。
幅5m長さ約66mの細密なモザイクで埋め尽くされた大廊下。これが「Grande Caccia(大狩猟)」
ローマのサーカスで興業に使われる動物(猛獣)を捕らえる狩猟旅行の様子が描かれている。ライオンやトラ、ぞう、珍しいサイや神話上のグリフィン(頭は鷲、翼があるライオンや蛇)などもある。珍鳥や魚の類いもあり、驚べき種類の多さだ。捕らえられた動物は騎士などの監督下で働く人々によって船に積まれていく。まさに壮大な狩猟大航海の物語だ。

大狩猟(部分)

この別荘が、海外からの動物の輸入で財をなした人物が所有した時期があるのではないかと言われるのは、この壮大な大廊下画によるのだろう。こうした美術品があれば主は自慢の大航海物語を披露して話も弾み、来客を飽きさせることはなかっただろう。

大狩猟(部分)魚を捕獲する場面だが不思議な生き物も見える

こうした装飾の芸術性、物語性からは所有者の高い教養と洗練された美意識がうかがわれる。また、別荘内が私的なスペースにとどまらず「Basilica(バジリカ)」もある。古代ローマではこれは集会場・公会堂である。ここでは大理石をふんだんに使うなどこの別荘の中で最も贅沢な材料が使われているそうだ。
こうした豪華な装飾を施した邸内には浴場あり、床暖房有りと当時の最新の設備をふんだんに取り込んでいる。相当高いレベルの支配階級にいた人々が所有していたことは明らかだ。

モザイクに関しては、紀元後まもなくアフリカからモザイク制作者を呼んだとなると、思い浮かぶのはポンペイで発掘されたモザイク画《La battaglia tra Dario e Alessandro(Battaglia di Isso)》だ。エジプト・アレクサンドリアのモザイク師が作ったと言われている。もしやこの別荘もアレキサンドリアから高度な職人を連れてきたのかもしれない。

画題に関しては、動物や自然、音楽やダンス、ゲームやスポーツなど日常生活の様子や神話からとられていて、宗教色が見当たらない。「大狩猟」廊下中心から入る大広間はバジリカというが、現代人が想像する教会の意味ではなく集会場や裁判所のような場所だ。当時は初期キリスト教から中世。これまでラヴェンナとヴェネツィア、パレルモ、ナポリの考古学博物館のポンペイのモザイクをみたことがあるが、宗教的な作品のほうが記憶に残っている。(中でもラヴェンナのサン・ヴィターレが忘れがたい。)
しかしここはラヴェンナに見られるような煌びやかなモザイク宗教画があらわれるビザンチンにも至らない時代だ。こうしたこともあり当時の人々の文化を象徴した別荘になったことは、結果的にはより独特で非常に興味深い。

シチリア全土で今年一番の暑さを観測した日、扇子を駆使し酷暑のなかまわった甲斐があった。当時の客人にどれほどのインパクトと興味をもたらしたかと想像に難くない、見れば見るほど惹きつけられる作品群だった。

参考サイト
Museo Archeologico Nazionale di Napoli 「La battaglia tra Dario e Alessandro」
https://www.mann-napoli.it/mosaici/#gallery-3

Villa Romana del Casale
https://www.villaromanadelcasale.it/villa-romana-del-casale-piazza-armerina/

Unesco Villa Romana del Casale
https://www.unesco.it/it/PatrimonioMondiale/Detail/126